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高松塚古墳で古に思いを馳せながら考えたこと。(原田武夫の”Future Predicts”. Vol. 63)

この週末は再び東京を離れ、西日本に足を伸ばしている。国庫がますます空になっていくのに相も変わらず空虚な権力闘争ばかり繰り返している東京ではもはや得るものはなく、ましてや育むべき近未来もない。だからこそ、東京からは離れ、視点・視座を変え、未だ見ぬ「未来」へと思いを馳せている。

そうした中で昨日(6日)は奈良において恒例の会員制サーヴィス「原田武夫ゲマインシャフト」ゴールド会員限定懇親会を開催した。会場は格式高い「奈良ホテル」であったが、実に大勢の会員各位(45名ほど)が集まって下さった。お集り頂いた皆様にまずは心からの感謝を申し上げたいと思う。本当にどうもありがとうございました。

その場で私からは事前に約束したとおり、暗号資産の自動売買システム構築に向けた「最初の一歩」の更にその”前”をご説明した。計算が出来ない乱高下である不確実性(uncertainty)の世界を飛び出し、計算が出来る価格変動であるヴォラティリティ―(volatility)の世界へと回帰にするためには、いかにトランプ米大統領でも究極において操作することの出来ない世界へと私たちの主戦場を移す必要がある。そしてそれが正にブロックチェーンであり、暗号資産が構成する世界なのであって、しかもそこで自らの手によって作り出したアルゴリズム・トレード・マシーンを用い、敢然と未来へと立ち向かっていくためには果たしてどうすれば良いのか。この点について現場では、弊研究所における関連する開発状況を踏まえ、じっくりとご説明した次第である。会員の皆様は熱心に聞いて下さり、話す方としても手ごたえは十分あったと考えている。ここから始まるのだ、新しい時代が。

この様に御陰様で成功裡に実施した酒宴を前にして、私は一人、飛鳥の地にある高松塚古墳を二年ぶりに訪れた。前回は酷暑の中における訪問であったが、今回は初冬の訪問、しかも快晴の時とあって実に清々しい散策のひと時となった。そして1972年に採掘が行われ、我が国の歴史学会のみならず、社会全体に大きなインパクトを与えた高松塚古墳とその壁画の展示は静かに私のことをそこで待っていてくれていた。

なぜ今、飛鳥の地、そして高松塚古墳を訪れたのか。———無論、それには理由がある。我が国において大王(おおきみ)は元来、それ単体として居住していた。その地のことを「宮」と呼んだ。そして「宮」は多くの場合、風水上、明らかに「気の良い」ところに設置されており、平野と山のちょうど中間の麓のところに位置していたことが知られている。しかしやがて大王はそうした「宮」の在り方ではもはやクニ(国)を統べることがままならないことを知るようになる。なぜならば、大王に付き従うべき豪族たちは好き勝手にそれぞれの土地を占有し、その上で権力を随意に行使していたからである。当然、彼らは一筋縄にはいかず、大王の命令に従うばかりではなかった。

そこで一計を案じた大王は、より広い平和へと居所を移し、そこに大陸由来の条里制を敷き、中ではこれら豪族たちに集住する様に命じたのである。そしてこの命に応じた豪族たちはやがて大王がこれまた決めた階層秩序の中で位を争うことをもっぱら営みとしてするようになる。平たい言葉で言うならば「官僚化」した彼らの上で大王は君臨し続けた。この様にして始まった大王の新たな居住地のことはその後、「京」と呼ばれる様になる。

それでは彼ら豪族は何故にそれまでの想い想いの土地での生活を止め、大王からの命令に従う形で「京」における集住を始めたのであろうか。その理由は端的に言って、その方が富を創り出せたからである。当時の基幹産業である「農耕」には大量の動員が必要である。そして動員された人々を動かすためにこそ必要なのが大王の権威であり、それに服する形で行使される豪族たちの実力(武力)なのであった。やがて余分に生産された富は余剰分となって蓄財される様になり、今度はこの余剰分の富を巡って激しい武力闘争が繰り広げられるようになる。そしてそこでの戦いは徐々にエスカレートし、対象となる富の量も莫大な規模となる中、それを守るためとして行使される権力も巨大なものへとなっていくのである。江戸幕府も、明治維新も、そして先の2回の大戦も、さらに言えば戦後の我が国における繁栄も、全てがこの延長線上で生じた現象に過ぎないのである。

今月(12月)も後半を迎える中、我が国ではいよいよ公的債務問題を巡り「黄色信号」がけたたましいサイレンと共に点滅し始める。それからややあって、いよいよ我が国は遂に「破綻の時」を迎えるのである。しかしこれは単に「昭和型システム」の終わりであったり、あるいは「明治以来の近現代国家の終わり」であるだけではないのである。いや、むしろ以上述べて来たような古からのクニの在り方そのものが根底から覆される、そういうひと時がこれによって訪れることになるのだ。

そしてその瞬間、我が国におけるリーダーシップはいずれも、「京」のルールから「宮」であった時のルールへと立ち返らなければならなくなる。すなわち、そこにもはや巨大な「官衙」は存在しないのである。あるのはリーダー自身が住む、その居所しかない。だがそうであっても困窮する人々に対して「食べていくための手段」をリーダーたちは与え続けなければならないのである。しかし世界はその時もなお、上述の意味での「不確実性」に見舞われているのであって、そうであるが故にそれとは質的に異なる(同じく上述の意味での)「ヴォラティリティ」の世界へとリーダーは回帰しなければならず、しかもそこで得られる富については、甚大な規模での官僚制を経ずして、飢え、困窮する人々がただひたすら分配を受けるのみではなく、自分たちのその手で創り出す術を身につけられるようにリーダーは率先垂範で彼らを導かなければならないのである。そして「このこと」こそが新しい政(祭りごと)に他ならないのであり、単に既にあるパイ(国家予算)を恣意的に切り刻み、ばらまくという現在のそれとは大きく異なって来るのだ。

飛鳥ブルーとでも言うべき青空に映える高松塚古墳を前に、古の時へと想いを馳せながら、「そのこと」について私は考えた。長期金利の急騰、デフォルト騒動の手前へ、と物事が進展する中、我が国では法定通貨が使いものにならなくなり、社会経済活動は一気に暗号資産、ブロックチェーンの世界へと移行する。そうである時、暗号資産の自動売買システムを、それまでに十分普及してきた大規模言語モデル(LLM)を用いて自らコーディングし、パラメータをチューニングすることの出来る「現生人類A」としての人々の中心には、卓越した能力をもってそうした展開を自らの技術で支え、もって人類社会全体の転換を担っていく、全く新しい「政(まつりごと)」を行うニュータイプのリーダーが必ずや求められることになるのだ。そしてそれには分配のための権力装置としての官僚制を必要とせず、だからこそ集住をして人々を競わせることもまた不要となっているはずなのだ。そこにはただただ、かつての大王が暮らした場所としての「宮」だけが我が国のそこここに点在するようになるだけである。

均整のとれた高松塚古墳のシルエットを静かに眺めながら、私はそんな思いにかられていた。いよいよ「その時」が程なくして始まるのであるから。「宮」から「京」、そして「京」から全く新しい「宮」へ。———日本史は今、音を立てて動きつつある。さて、果たして他ならぬあなたはどうであろうか?ここから始まる全く新しい時代に向けた備えは万全か?あるいは既に動き出しているだろうか?

2025年12月7日 広島の寓居にて

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト

原田 武夫記す