誰を選んでも変わらない。ならば「何」を選ぶべきなのか?(原田武夫の”Future Predicts”. Vol. 52)
最近、インターネット空間上の、とりわけソーシャル・メディア(SNS)を見ていてしばしば想うことがある。それは「バズるために創造性(creativitiy)を封印している方が多い」ということだ。SNS選挙においてしばしば問題視されることだが、「バズる」、すなわち多くの方々が視聴する、となると途端にそのイシューについて、全く無関係な方々がどういうわけか、あらゆる方面からソーシャル・メディアで類似の記事・動画を投稿し、何とかそのおこぼれに預かろうとするのが日常的になっている。
例えばこういうこと、だ。あるテーマについて人々の関心が高まっているとする。そうなると、YouTube上でそのテーマについて「検索」数が急上昇する。ところがこれに対してヒットする動画の数が少ないという状況が当然、リアルタイムではしばしば生じる。これが正にsweet spotなのであって、とにかくまずは検索でひっかかるように同じタイトルを掲げ、それで動画見られれば、それだけ広告収入を上げることが出来るというわけなのだ。最近は、こうした作業を行うためにChromeの拡張機能としてvidIQなどというWEB上のアプリケーションすら誰でも利用出来るようになっているそうだ。何せ、Googleによる検索エンジンのグローバル・マーケットにおける市場シェアは89パーセント以上だ。その延長線上で行動すれば、そのおこぼれに預かることが出来るというのが今のサイバー空間上の「常識」なのである。その意味で「言論」は簡単に造られている。そのことをまずは踏まえておかなければならない。
少々長くなったが、弊研究所、そして筆者自身はこうした流れには一切組しない。いや、むしろ「その真逆」をもって行動指針としている。誰しもが自分の”想定内”で世界の未来が生じることを期待している。口には出さずとも無意識に必ずそう期待しているのだ。このことは過去の学習体験から来ているのであって、その意味では過去データのパターン・マッチングに過ぎない人工知能(AI)と私たち人間の思考回路は余り大差がないのである。そして、”想定内”の枠組みの中で未来に実際に起きることが収まらなかった時、どうなるのかというと、私たちは常に「怒り」「不快感」を感じる。だが、この世は常に「冪(べき)」「フラクタル」で生じているわけではないのであって、必ずといって良いほど、しかも不定期に不規則な出来事が生じてしまうのである。
弊研究所、そして私が常々指摘し続けている「予測分析(predictive analysis)」の本質は実はそこにある。「こうあってほしくない」という「希望的観測(wishful thinking)」にはまり込んでしまうことはイコール、リスク回避を一切しないことを意味している。だからこそ、私たちIISIAは常にそうしたリスクの可能性を大胆に、そして時には”派手に”、皆様の印象に残る様に指摘する。だからこそ、時に(面白いくらいに(失礼ながら))感情的な反応を示されるお客様や読者の皆様がいる。「そんなこと絶対に起きるはずがない!」というのである。だが、実際にそのことが起きると途端に流れが変わる。「どうして分かったのですか?」「これから何が起きるか教えて欲しい」と続々と押し寄せて来る。悲しいかな、それが私たち人間の性(さが)なのである。
しかし、次の時代はこうしたこれまでのタイプの人間(旧来型の「現生人類」)は生き残れないのだ、ということを、自然(じねん)の余りにも激しい変化が如実に物語っている。最も卑近な例を出すならば、例えば去る11日に他ならぬ首都・東京で発生した「豪雨」とその被害だ。誰が都心の真ん中で「冠水」が生じ、交通マヒとなることを想定していたであろうか。しかも厄介なのは、こうした自然(じねん)の転換を前にしては、誰が総理大臣に選ばれたとしても変わりがないということなのである。来月(10月)4日には自由民主党の総裁選挙が(また)行われるのだという。それに向けて続々と候補者が名乗りを上げているが、どうも精彩に欠けると思っているのは何も私だけではないはずだ。何度も言うが、事ここに及ぶと「誰が総理大臣になろうが事態は変わらない」のである。
昨日(12日)にリリースした音声レポート「週刊・原田武夫」においてはそのことを端的に指摘し、かつ「では、どうすれば良いのか?」についても分かりやすく述べておいた(クリックすると詳細説明に飛びます)。「どんなことを話しているのか?」と気になる方は是非、まずはこちらの動画をご覧頂きたい(画像をクリックするとGoogle Drive上の共有動画にジャンプします(無料です))。
つまりはより巨視的な観点から物事を見る必要がある、ということなのだ。現在、私たちは「より的確な人物を選んで、そして富の分配という意味での政治二任にあたらせるのが私たちにとって最善の方法だ」と信じ込んでしまっている。「民主主義」「議会主義」の公民教育を小学生時代から受けてきたのだから仕方がない。しかし、である。そもそもなぜ「政治家」を選ぶ必要があるのであろうか。彼・彼女らが分配の任にあたる「富」そのものが我が国において明らかに少なくなり、やがては枯渇してしまう危険性がある時、彼・彼女らに頼る必要など本当にあるのだろうか?
ましてや自然(じねん)と、それに適合的にあろうと、とにもかくにも米欧のリーダーシップは判断を二転三転させ、グローバル社会は我が国も含め揺さぶられ続けている。そうであるならば、そうしたヴォラティリティのある世界ではなく、「安定的な空間(当然その前提には時間がある)」を求め、そこにおいて私たちは明日を生き残る「糧」を得るための仕組みを、杭の様に今から早々に打ち込めば良いのではないのか?
「本当にそんな空間が存在するのか?」
読者は必ずやそう思われたに違いない。そう、そこがポイントなのである。そしてカギを握る概念が「定常性(stationarity)」であり、かつそれとの組み合わせにおけるブロックチェーン、暗号資産(cryptocurrency)であるというのが私の考えだ。そこに自らの手で、ちょうど、狩猟採集生活から脱するべく、稲作を覚え、稲を田に植えることを覚えたところから現代に続く人類の文明が始まったように、「明日の糧」を得るためのpythonコードをあなたが打ち込み始めた時。あなた自身の生活は変わり、未来は輝き始め、もって我が国は、世界は、そして人類全体が燦然と輝き始めるのである。
その意味で今問題なのは「誰を選ぶべきか」ではない。「何をあなた自身が選ぶべきか・何をすべきか」なのである。次元を超えた世界ではあなたの未来が既に広がり始めている。あとは、そこに既に生り始めているたわわな果実をその手でもぎ取るのか、あるいは放置して、全てを失うことになるのか。選択はあなた次第なのだ。さて、どうしますか?
2025年9月13日 広島の寓居にて瀬戸内海を眺めつつ
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 代表取締役会長CEO
原田 武夫記す
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