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名画からハプスブルク家の内側を探る (“情報リテラシー”教育の発展とその向こう側(Vol.11))

前回ブログ(ハプスブルク家の興隆-“情報リテラシー”教育の発展とその向こう側(Vol.10)-)では、20世紀に至るまでオーストリア・ウィーンを本拠地として君臨した「ハプスブルク家」について、その基礎的な歴史を振り返ることで全体像の把握に努めた。今回は、そのような歴史を持つハプスブルク家を「絵画」という視点から紐解いていきたいと思う。

(絵画:ジュゼッペ・アルチンボルド作、ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世、1591年頃)

(参照:Wikipediaより)

この斬新な絵画は、教科書などで一度は見たことがあるのではないだろうか。これは、ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo)というイタリア・ミラノ出身のマニエリスム(マニエリスム精神とは、洒落・思い付き・奇想)を代表する画家によって描かれた作品である。1492年にイタリアの航海者クリストファー・コロンブスがスペインの支援を受けて大西洋を横断し、カリブ海の島に到達した“大航海時代”を反映し、この頃の王侯貴族は競って「新世界からの到来物や新奇で珍奇なものを収集し、ヴンダーカマ―(驚異の部屋)作りに熱中した[中野08,p.113]」という。その中でも、コレクションの規模と多様さで、この絵画のモデルである神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の右に出る者はいなかったというのだから、相当なコレクターであったことが伺える。美術品はもちろん、「異国の動植物、昆虫標本、宝飾品、古代遺物、外国の紙幣、自動人形、動物の内臓、生きた異形の人間(『ラス・メニーナス』にその雰囲気がはっきりと出ている)、あるいはその骨格標本[中野08,p.113]」に至るまで収集を極めた。博物学ブームの先駆けである。

さて「写真」が登場する前、この頃の宮廷画家の重要な仕事の一つが、王侯貴族が集めた希少動植物を絵として記録に残すことであった。そのため、この絵画も珍しい野菜・果物・植物の“図鑑”のような形で描かれているのである。当時、このような“図鑑”要素を含めた肖像画のみではなく、通常の図鑑も描いていたアルチンボルドであるが、実際にはその評価はあまり高くなく、ピーター・ブリューゲル(現在のオランダ・ベルギーの画家)の息子であるヤン・ブリューゲルが植物絵画の担当として、また、生きたドードー鳥を描いたことで良く知られるルーラント・サーフェリーが動物担当として、ルドルフ2世に宮廷画家として呼ばれた記録が残っている。さらに、肖像画も特段評価されていなかったアルチンボルドは、当時の博物学ブームの波に乗り、“図鑑”要素を取り入れた肖像画が空前のヒット作であったわけである。(彼はルドルフ2世の父、マクシミリアン2世の代にも宮廷画家を務めていたが、ウィーンの周辺に植物園や動物園を設けるほど自然科学に強い関心を寄せていたマクシミリアン2世に、1569年の正月に新年の贈り物として『四季』と『四大元素』の2つの連作を捧げている。)
ちなみに、この頃の有名人と言えば、惑星が楕円軌道になっていると証明した天文学者のヨハネス・ケプラーであるが、当時“天文学”と“占星術”はほぼ同義であり、占星術は大学での正規の授業でもあった。(弊研究所会員制サーヴィス「原田武夫ゲマインシャフト」の音声レポートを日々聞いていらっしゃる皆様の中には、「ピン!」ときた方がいらっしゃるかもしれませんね。)神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が庇護した最も有名な天文学者(占星術師)が、このケプラーであり、宮廷に召し抱えられた彼は天体の運行に関する「ケプラーの法則」を発見した。またルドルフ2世の勅命によって作成された惑星の位置を数学的に推算するためなどに利用される天文表は、彼の名前にちなんで「ルドルフ表」と呼ばれている。(ルドルフ表は、それ以前のどの天文表よりも正確であり、数世紀の間、天文学者、占星術師、船員、測量士、および日時計の力学にとって不可欠なツールとなった。)

(絵画:『ルドルフ表』の扉 – 過去の天文学者達が描かれている)

(参照:Wikipediaより)

 

次にこちらの作品、スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表する巨匠であるバロック期のスペイン画家、ベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez)が描いた「ラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)」について見ていこう。

(絵画:ベラスケス作、ラス・メニーナス、1656年)

(参照:Wikipediaより)

この絵画を見てまず気が付くのは、貴族の肖像画は基本1人で描かれるのに対し、微笑ましい日常のスナップ写真のような光景が描かれている点である。王室の集団肖像画は当時オランダの画家らがトレンドであったため、これに影響されたとも言われている。
さて、この絵画の登場人物は何人だろうか。右側の窓から入る光に照らされ、まるでスポットライトに誘導されるかのように視線が王女に行くわけであるが、1、2、3、・・・9人。いや、未だ数え足りない。実は彼女の両親も描かれている。中心に描かれた王女の斜め左上に置かれている鏡の中に注目してほしい。10、11人。

つまり、画面左に描かれる大キャンバスの前に立つのが画家ベラスケス本人であることから、彼は絵画の中の世界では、描かれた当時5歳頃であった中央のマルガリータ王女ではなく、彼女の両親、スペイン王・フェリペ4世(神聖ローマ皇帝カール5世=スペイン王・カルロス1世の子)とマリアナを描いているという、なんとも不思議な絵なのである。(スペインの国立美術館であるプラド美術館所蔵の作品の多くはベラスケスが選定したものであるほど、彼はフェリペ4世の美術品の鑑定や収集を任されていた画家である。)

これが描かれた場所は、マドリードに位置した王宮(アルカサール)内に設けられたベラスケスのアトリエ。この天井が高く広い部屋は元々、スペイン王フェリペ4世と最初の妃イサベル・デ・ボルボンの長男としてマドリードで生まれたバルタサール・カルロス王子の部屋であった。またベラスケスは後に、宮廷全体の管理をする事実上の宰相としての地位も与えられるまでに出世していることなどから、ベラスケスに対する王家からの信任が厚かったことがわかるのである。

構図に関して言えば、登場人物11名にも関わらず、全員が下半分に描かれていることで空間の大きさが表現されている。それであってもなお上下が分離していないのは、左右の巨大キャンバスと光を浴びた柱が描かれているためである。また、この絵画の手前にフェリペ4世とマリアナ王妃が立っていることを加味すると、手前から7層程を介して、ジグザグに奥まで導線があることが分かる。さらにこれに注目させたいマルガリータ王女にピントを当てつつ、他登場人物のピントは遠近法として変えており、これがよりリアルな奥行きを出している(鏡の中に映る2人のタッチは非常に荒い)。こちらの絵画実物は3.18mの大きさであるため、実際に絵画の前に立つとマルガリータ王女がちょうど実寸大程であるという。所蔵されるプラド美術館で是非一度実物を見てみたいものである。

(ちなみに先程の博物学ブームの時代について、「生きた異形の人間」という記述がありぞっとしたかもしれないが、この絵画の右下に描かれるマスチフ犬(当時番犬として活躍していた犬種)の後ろにいる女性は小人症を患っている。当時スペイン宮廷には、数百の奴隷が存在していたと言われているが、そのうちの一人マリア・バルボラである。)

 

最後の絵画はパリを拠点にヨーロッパ中の貴族の肖像画を描いたことで有名なドイツの画家、フランツ・ヴィンターハルターの作品である。先に画家であるヴィンターハルターについて少し解説すると、彼はベートーヴェンの肖像画(あの有名な!)を描いたことで大変有名なヨーゼフ・カール・シュティーラーの弟子である。彼は師匠であるシュティーラー同様、適度に脚色した絵画(現在の加工アプリ人気のよう)を得意としたことで当時の王侯貴族に引っ張りだこであったという。彼はドイツ、オーストリア、フランス、イギリス、イタリア、ベルギー、ロシア、ポルトガル等、大概の王室はヴィンターハルターが肖像画を手掛けたと言われている。

(絵画:ヴィンターハルター作、エリザベート皇后、1865年)

(参照:Wikipediaより)

ここに描かれているのは、バイエルン公マクシミリアンの次女エリザベート(当時28歳)である。この作品は、旦那であるフランツ・ヨーゼフ1世の肖像画と対で描かれている。(当時23歳のフランツ・ヨーゼフは従妹にあたるバイエルン公国プリンセス、ヘレーネとの見合いの席を設けられるが、ヨーゼフはその見合いの際に付き添いで訪れた15歳のエリザベート(愛称:シシィ)に心を奪われてしまい、エリザベートとの結婚に至った。)

この肖像画のように単独肖像画の評価が高いヴィンターハルターだが、群像肖像画「ヴィクトリア女王一家(1846)」や「侍女たちに囲まれたウジェニー皇后(1855)」という作品も大変有名である。1855年と言えばパリ万博が開催された年であり、世界中がより近代へ向かっていた最中、18世紀のロココ主義のように描いた作品はまた印象的なのである。

前述の通り、ヴィンターハルターは、ハプスブルク家及びオーストリア皇帝を68年間務めたフランツ・ヨーゼフ1世の肖像画も描いている。ヨーゼフ1世が1916年に亡くなった2年後にハプスブルク家が崩壊していることから、ヨーゼフ1世と皇后エリザベートの時代がハプスブルク帝国の最後の輝きと考えられており、その中で“最後の宮廷画家”と呼ばれたヴィンターハルターが描いたこの作品は、まさに傑作なのである。

描かれているエリザベートは乗馬(当時女性は横座り乗り)、フェンシング、吊り輪、鉄アレイなどの運動をこなす非常にアクティブな皇后様であった。また同時に3人の子どもを産みながら身長172㎝、体重43~47㎏、ウエスト51cmという完璧なスタイルを生涯保ったファッションリーダー的存在でもあった。彼女の時代にはカメラも発達し、実際多くの写真を撮られている(「美」を追求しすぎた彼女は年齢を重ねると共に写真を避けるようになったという)。

そんなエリザベートを待っていたのは、跡継ぎのルドルフを巡るスキャンダルである。エリザベートの息子ルドルフは、ヨーゼフ1世(エリザベートの夫)の母親であるゾフィが次期皇帝として育てていたため、生みの親であるエリザベート本人はなかなか母親として関わることが少なかった。そのため、「ルドルフは愛に飢え、母から拒絶されたと感じ、長ずるに及んでは父と政治的に烈しく対立するようになった[中野08,p.183]」と言われている。身体的に頑健でないというコンプレックスにも悩み、ベルギー王女と結婚させられたものの関係は不調であったことなどもあり、31歳で17歳の男爵令嬢と心中をしてしまう(マイヤーリンク事件)。これに旅先から駆けつけたエリザベートであったが、責任を感じたのだろう、その後彼女が亡くなるまで喪服姿を貫いたという。

彼女の最期の瞬間は、ルドルフの死後10年近くたった1898年9月10日のスイス・ジュネーブであった。当時61歳のエリザベートが女官イルマ・シュターライと街を歩いていたところ、ある新聞記者が写真を撮影し、これを新聞へ起用した。彼女らがジュネーブにいることが世界中へ知れ渡ったことで、2人がレマン湖の畔を歩いていた際、イタリア人の無政府主義者の男が手製の武器を持ちながら体当たりをした。その刃が彼女を命取りとなってしまったのである。イタリア人であるこの男ルケーニは、元々イタリアの王族の暗殺を計画していたが、イタリア国内への入国拒否をされたためにジュネーブで足止めを食らっていたところだった。ルケーニはその後、次にジュネーブに入った王侯貴族であるフランス・オルレアン公を狙うが、彼が一足先にスイスを後にしたため実行には至らなかった。そして、エリザベート皇后がジュネーブにいるという新聞の知らせである。「王侯貴族なら誰でも良かった」というその発言は何ともやりきれない。彼女のドラマのような人生を振り返った後に見る、ヴィンターハルターの作品「エリザベート皇后」はどのように目に映るだろうか。

 

以上、今回は3作品を眺めてみたがいかがだっただろうか。筆者は学生時代留学中“Dutch Painting”という講義を受講していたため、このように絵画を眺め、その背景について思考を巡らせると、当時試験対策用ノートを同級生と協力して完成させたことが思い出される。また一つ一つの物語を見ていくと、描かれる側も描く側にも、名前だけでなく確かにそれぞれの人生があったことを改めて感じる。日本国内でも定期的に美術展が開催されているため、今回触れたような美術作品に触れる機会自体はあるかもしれない。ただし美術展まで足を運んだとしても、相当な熱が無い限りなかなか1枚1枚に描かれる背景まで掘り下げることはしないだろう。本ブログでは特に3枚の絵画を取り上げ、「ハプスブルク家」という視点から改めて彼ら貴族たちの姿を紐解いたが、文字からのみではなく、絵画というアートの世界から当時の人間の考えや特徴を見る面白さを少しでもお届けできたのであれば、非常に嬉しい。本ブログの最後に示すアンケートでは、是非あなたのお気に入りの美術作品もご教示いただきたい。

 

※当ブログの記述内容は弊研究所の公式見解ではなく、執筆者の個人的見解です。

 

業執行ユニット 社会貢献事業部 田中マリア 拝

 

最後までお読み頂きありがとうございます。

いかがでしたでしょうか。本ブログのご感想、そしてお気に入りの美術作品等もこちらのアンケートへお寄せいただけますと大変励みになります。何卒宜しくお願い申し上げます。

 

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[参考文献]

・[岩崎17]岩崎周一,「ハプスブルク帝国」,講談社現代新書,2017.

・[中野08]中野京子,「名画で読み解くハプスブルク家 12の物語」,光文社新書,2008.