人間に備わる本能的能力「アブダクション」 (“情報リテラシー”教育の発展とその向こう側(Vol.6))
「アブダクション(Abduction)」という言葉を聞いたことがあるだろうか。今回議論したい「アブダクション」とは推論の一種である。
従来思考法(論理学が論証または推論の様式として認めてきたもの)には「演繹法」「帰納法」の2種類がある。しかし、ここへ3つ目の思考法「アブダクション」が加わり、「演繹と帰納とアブダクションの三分法によってこそ科学的探究の論理を完全に解明することできる[米盛81,p199]」と考えられている。
日本語でアブダクションについて調べると、米盛裕二という人物が執筆した書物や論文が多く引用されていることに気付く。これまでの我が国におけるパース哲学の概説書と言えば、『パースの記号学』[米盛81]、『パースのプラグマティズム』[伊藤03]、『パースの認識論』[デイヴィス90]、『パースの思想:記号論と認知言語学』[有馬01]、『パースの宇宙論』[伊藤06]等が挙げられる。このように、その源流を調べるとパース(Charles Sanders Peirce)という哲学者が見えてくる。パースは哲学者であるとともに超一流の数学者だったと言われており、「それゆえ現場の数学者と同じような考え方をして、数学を図的な実験と見なし、自然界との対応関係を求めなかった[コーリネス・ドヴァ―ル17,p261]」という。(パースの考え方は、「物質や人間の精神など全てが“精神の原子”のようなものから構成されている」という“モナド論”を提唱したライプニッツとも非常に関係が深いようで、弊研究所代表・原田武夫から提示された夏の課題図書『ライプニッツの情報物理学-実体と現象をコードでつなぐ[内井16]』にも繋がりそうである。)
パースの探求の論理学では、推論は以下のように分類される。
(図:パースの考える推論の枠組み)
(「アブダクション:仮説と発見の論理[米盛07,p82]」を参照し筆者作成)
図のように、「アブダクション」は「拡張的推論」に分けられ、帰納法と並ぶ館上げ方であることが分かる。この2つを比較してみたいと思う。
【帰納法】
①これらの豆はこの袋の中の豆である。(事例)
②これらの豆は白い。(結果)
③ゆえに、この袋の豆はすべて白い。(規則)
つまり、「袋から豆を1つ取り出してみたら白かった。おそらくこの袋の中の豆は全て白だろう。」これが帰納法の推論である。
【アブダクション】
①この袋の豆はすべて白い。(規則)
②これらの豆は白い。(結果)
③ゆえに、これらの豆はこの袋の豆である。(事例)
この場合、「机上に散らばっている豆は白い。袋の口が開いていて中身が見える、あの袋の中身はすべて白い豆である。おそらく机上の豆はあの袋の中からこぼれたのだろう。」これが、アブダクションの推論である。
アブダクションは、帰納の性格とは次の2つの点で大きく異なると言える。
「第一に、アブダクションは『われわれが直接観察したものとは違う種類の何ものか』を推論する。第二に、アブダクションは『しばしばわれわれにとって直接には観察不可能な何ものか』に到る超越的推論である。[米盛81,p.193]」
アブダクションは「仮説的推論」とも呼ばれている。
パース[米盛81]によると、この仮説的推論には少なくとも次の3つの種類のものがある。
第1の種類は、例えばトルコのある港町で騎手たちに護衛されてとおっている重だった人らしい人に出会って、その人はこの地方の知事に違いないと考える場合である。その仮説を思いついた時点ではまだその人が本当のこの地方の知事であるか同化を確かめていないが、しかし確かめようと思えば直接知事室まで行って確かめることができる。アブダクションが行われる時点ではまだ観察していないが、しかし観察しようと思えば観察可能な、そういった事実に言及する説明仮説である。
第2の種類は物理的に観察不可能な事実に言及する場合である。過去の歴史的事実に関する仮説、あるいは魚の化石からその辺一帯の陸地はかつて海であったと推論するような地質学的仮説等である。
第3の種類は、われわれの科学的知識の現段階では実際的にも原理的にも直接には観察が不可能な事実に言及する場合である。たとえば素粒子に関する量子論的仮説などである。しかし素粒子のような事実だけでなく、科学における諸法則、その他の倫理的対象―たとえばエネルギー、電磁場、核力、重力などーはすべて直接には観察不可能な仮説的存在である。第3の種類はそういった理論的対象に関する仮説もすべて含む。
次の米盛(1981)の発言に関して、大沢(2017)は「パースはアブダクションのみを過大評価するような語句は用いていない」と懐疑的ではあるが、米盛(1981)は「パースによると、この第三の種類の仮説が本来最もすぐれた科学的仮説であり、科学的価値の大きいものである。(p195)」と解釈している。その理由は、「この種の仮説は大抵ほかの多くの重要な仮説を含意し科学的に実り多い帰結を生むからであり、第二に、それらの仮説は最も一般的普遍的な性格を有し、したがって多くの事象およびそれらの事象間の関係を説明することができるから[米盛81,p195-196]」である。
①驚くべき事実Cがある。
②しかしAならばCである。
③ゆえに、Aである。
これを記号で書くと、
①C
②A⊃C
③A
となる。(このように記号で表すことがあったため、『パースの記号学』と呼ばれる文献が誕生したのだろう。)
この形式から分かるように、アブダクションは後件から前件への推論と言える。米盛(1981)は、「アブダクションはつまり論理学で言う「後件肯定の誤謬」(the fallacy of affirming the consequent)を犯している[米盛81,p198]」と述べている。「誤謬」ということはつまり、アブダクションには形式的に妥当な論理学の諸法則が有する論理的必然性はないということであり、大いに誤りの可能性がある「弱い種類の論証」であることを意味する。しかし、そこでもし仮説Aで事実Cを上手く説明することが出来ない場合は、新たに仮説Bを提案し、「BならばC」と考えることができる。これの繰り返しである。
このように仮説を構成することは、言い換えればわれわれの側から積極的に自然に問いかけることによって解答を導き出すことを意味する。しかし上手く解答を引き出すにはアブダクティブな想像力を働かせるには「熟練した思考の技術を要する[米盛81,p199]」のであって、したがって「アブダクションはかなりの程度において論理的に統制できる技術的推論[米盛81,p199]」であると言えるのである。
下記、弊研究代表・原田武夫が作成した「情報リテラシーの図」では、アブダクションとは④直観=気づき(非論理的)の部分を指す。
(図:類推法による情報リテラシーの全体像)
(参照:原田15, pp.140-141.)
図を参照すると、ここでのアブダクションによる予測は未来が対象であるため、確実性は小さい。袋の中の豆の3分の2が白であるという結論は、袋から抜き取られた豆の3分の2が白であるという事実の「もっともよい説明」である。しかし、アブダクションはこういった強い種の結論は導き出せない。しかし、これは同時にアブダクションが「論理的な規則によって拘束されることの最も少ないもの[コーリネス・ドヴァ―ル17,p96]」であり、科学者たちは閃きや洞察や直観によって、正しい仮説を思いつき重要な発見に至ると聞くが、これはまさしくアブダクションによるものである。そしてパースによると、この洞察の働きもアブダクションの重要な特質であるという。またこのような閃光のように現れると聞くと、非合理的であり、何か特定の人間だけが発揮できる神秘的能力のように思われるかもしれないが、パースは「自然に適応するために人間に本来備わっている本能的能力[米盛07,p69]」であると述べている。この部分に対して、弊研究所代表・原田武夫は過去の正しい歴史認識が不可欠であるとしているのである。
内田種臣編訳の「パース著作集2:記号学」には、
「アブダクションというのは、一般的予測を形成するが、その予測が特定の場合や普通の場合に成功するだろうという積極的な確信はなくてそうする方法であり、その正当化は次のようになる。―こういう方法は、それは我々の未来の行為を合理的に規制する見込みのある唯一のものであり、このような方法が未来において成功するだろうという希望に対しては、過去の経験からの帰納が強い激励を与えている[パース86,pp.26-27]」
とパースの言葉が書かれている。(同書に収録されているものは全て、次のものから選ばれ再構成され、訳されたものである。Collected papers of Charles Sanders Peirce, Vol.1,2,3,4,5,6,7,8; The Belknap Press of Harvard University Press, Cambridge, Massachusetts; Edited by Charles Hartshorne and Paul Weiss. ただし七巻八巻の編はArthur W. Burksによるもの。)
最後に、人間は過去の経験から未来を推測し、ある程度の確証をもって仮説を立てることができる。一言で表せば、これが“アブダクション”である。今回さらに身近なアブダクションについては触れることが出来なかったが、「私たちが日常的に行う推論はほとんどがアブダクションで、アブダクションを伴わない純粋な帰納推論や類推はほとんど存在しない(今井,2016)」との指摘もあるほど、日常には「アブダクション」で溢れている。「アブダクション」が自らから全く遠い事象でないだけでなく、弊研究所の言葉でいう「直観」や「気付き」に、実はこのような背景があると、「アブダクション」のさわりをお届けできていれば筆者としては非常に幸甚である。
事業執行部 社会貢献事業担当 田中マリア 拝
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[参考文献]
・[有馬01]有馬道子,「パースの思想:記号論と認知言語学」,岩波書店,2001.
・[伊藤03]伊藤邦武,「パースのプラグマティズム」,勁草書房,2003.
・[伊藤06]伊藤邦武,「パースの宇宙論」,岩波書店,2006.
・[原田15]原田武夫,「世界を動かすエリートはなぜ、この『フレームワーク』を使うのか?」,かんき出版,2015.
・[米盛81]米盛裕二,「パースの記号学」,勁草書房,1981.
・[米盛07]米盛裕二,「アブダクション: 仮説と発見の論理」,2007
・[Davis90]ウイリアム・H. デイヴィス,「パースの認識論」,産業図書,1990
・[Peirce86]C.S.パース,内田種臣編訳「パース著作集2:記号学」,勁草書房,1986.
・[Cornelis17]コーネリス・ドヴァ―ル,大沢秀介訳「パースの哲学について本当のことを知りたい人のために」,勁草書房,2017.