B20アドヴォカシー・プロセスを始める (連載「パックス・ジャポニカへの道」)
今年(2015年)3月から、私はB20のメンバーを務めている。B20とは、2010年から政府間会合であるG20をサポートするためにグローバル・ビジネス・リーダーたちの集まりとして立ち上げられたものだ。我が国からは現在、私を含め総勢4名が登録されているが、実質的に毎回の会合に顔を出しているのは私だけである。
私はこのB20が今後、グローバル社会、そして我が国との関係で極めて重要な意味合いを持つことになると睨んでいる。なぜならばG20に対して政策提言(policy recommendation)を提示する権利をこのB20は留保されているからであり、実際これまで行った政策提言の実に3分の1ほどがG20の首脳レヴェルで採択されているのだ。
ところがこのB20、我が国ではとりわけ政府レヴェルにおいて全く関心を持たれないままでいたのが実態だ。グローバル・アジェンダの源流中の源流というべき組織であり、かつ政府が直接関与出来ない世界の話であるので積極的に情報収集を行い、場合によっては働きかけを行っても良いようなものだが、そうしてこなかったというわけなのだ。そこで私は大いなる危惧を抱き、問題提起を関係省庁や財界に対して行うことにした。いわゆるアドヴォカシー・プロセス(advocacy process)の開始だ。
今のところ主管官庁である財務省と経済産業省の担当幹部を廻った段階であるが、それだけでもいくつかのことがはっきりしたのでこの場を借りて報告しておきたい。以下のとおりだ:
―G20よりもG7の方が「まとも」であり、「使い勝手が良く」、かつ「意味がある」と我が国政府は完全に誤解してしまっている。確かにロシアをキックアウトし、西側主要先進国だけで話が出来るG7における調整は早く、意味があるように思えるだろう。しかし今やグローバル・マネーはエマージング・マーケットが握っており、それを巻き込んでのルール形成をしなくては全く意味が無いのだ。この点について霞が関の首脳部は完全に時代遅れの認識のままでいるようだ
―B20を担当するのは各国の商工会議所なのであるが、我が国においては受け皿になる組織が事実上存在していない。「日商」「東商」といった組織はやや正確が違い、受けるならば経団連の国際担当部局かといった認識のようである。しかし経団連側は今のところ、来年(2016年)に開催される伊勢志摩G7サミットの準備で手いっぱいであり、その裏側(というよりもこちらの方がインパクトは大きいであろうから私の眼からすれば「表側」)で行われる中国が議長国を務める(!)G20プロセスについては全く関与していないようだ。しかもここでB20などを持ち込んでも「???」となるばかりなのではないかというのが率直な印象である
―そもそもG20は金融ワールドで始まった世界であるので、それでは我が国の財務省や金融界がB20についてもフォローできるのかというと、甚だ心もとない。トルコが議長国である今年(2015年)から主戦場はどちらかというと中小企業振興策(SMEs)に移っており、産業セクターの話になっているからだ
いずれにせよ、このままでは来年(2016年)度に議長国を務める中国が例によって何をしでかすか分からないのではないか、アジェンダ・セッティングの源流であるB20のレヴェルから対処すべきだと、私は「火」をつけてまわっている。それと同時に、実は青少年育成の場として明日のグローバル・エリートをつくるためのフォーラムになっているY20プロセスも我が国は完全放置されているので、これについてもケアをしていきたいと述べて廻っている次第だ。
近々、古巣である外務省にも働きかけを行っていく。いずれにせよ、グローバル・マクロの現実と我が国「霞が関」「大手町」さらには「永田町」のズレは余りにも大きすぎる。逆に言えばここをブリッジすることに、私たちのIISIAが為すべきことは山ほどあると感じる今日この頃である。
2015年6月28日 羽田空港にて
原田 武夫記す