設立から10周年。これから何が起きるのか。(連載「パックス・ジャポニカへの道」)
弊研究所は本日(2日)、御蔭様で株式会社として設立登記してから10周年を迎えた。思えば単身、自らの意思で外務省を飛び出したのが今から12年前のことだ。当時、キャリアの外交官としての経歴は「12年」であったので、ちょうどこれで「官民のキャリア年数」がイーヴンになったというわけである。
心からの感謝の念を込めつつ、今月(4月)22日に由緒ある東京・神田の学士会館にて「10周年記念イヴェント」を開催する予定だ。3部構成で行うが、その際、第1部はどなたでも入場が可能な講演会とすべく、今、スタッフたちが奔走してくれている。
「さて、どの様な話をその時すべきか」
桜が5分咲き近くになっているというのに、東京近郊では雪すら降っているという奇妙な天気が続く中、そんなことを考えていると、フィリピン勢のパートナーからSkypeで突然連絡があった。その内容を見て、あらためてハッとした。
「間もなくグローバル・リセットの第1段階(the first phase of the Global Reset)が到来する。そうしたらば貴代表ともより緊密に連携ととって日本・フィリピンが一致協力して物事を進めて行きたいと考えているので、何分よろしくお願いする。『将軍』も同じ気持ちだ」
一体何のことかと思われるかもしれない。実はこの人物こそ、旧日本軍がフィリピン勢の国土で大量に埋めた財宝(通称「金の百合(Golden Lily)」あるいは「山下財宝」)の現在の管理人なのである。もっとも単独で管理しているのではなく、チームで管理をしている。そして本当の中心人物は絶対に表に出ないことになっており、他方でこの様に隠密に連絡を取り合うための要員がいると思えば、他方で現在のデュテルテ大統領の側近として正にフィリピン勢としての「国体」勢力を構成しているハイランクな者もいるのである。私はそうした「国体」勢力の一人に東京で直接面会したことがある。
余りにも滑稽に思うかもしれない。それもそのはず、こうしたいわゆる「簿外資産」は戦後秩序において存在しないものとして扱われてきたからだ。その上で米国勢を中心とした国際秩序(ブレトンウッズ体制)が構築されてきたわけであり、さらにこれをベースに我が国の経済的な繁栄(「いざなぎ景気」から「高度経済成長」そして「平成バブル」)がもたらされてきたというわけなのだ。
その間、こうした「簿外資産」は完全に封印されてきた。否、正確にいうと表向きはそうとは分からない様に処理されてきたのである。端的に言うとそのためのオペレーションを担ってきたのが米国勢を中心とした各国勢のインテリジェンス機関だったわけであり、その究極の目的が、さしあたり「戦後秩序」の担い手とされてきた米国勢を表向き何としてでも支えることだったのである。我が国では保守主義者があたかも金科玉条の様に語る「日米同盟」も、結局は一言でいうとこうした基本方針の一端に過ぎない。
それではなぜ、米国勢が戦後、「世界の中心」とされてきたのだろうか。学者たちはもっともらしいことを語るが、それらはいずれも後付けの論理なのであって、最後の最後、納得の行くものではないことに気づかなければならない。なぜならば米国勢には、いかなる出来事が起きても存続し、その実質を担っている「国体」勢力が存在してはいても、あくまでもそれは後付けのものだからだ。アメリカ大陸にUSAという国が出来たのは200年余前のことに過ぎないのである。したがって米国勢には実のところ固有の存在としての「中心」は無いのである。だからこそ放っておくと分裂国家になる。今のトランプ政権下で何が起きているのかを思い起こせばすぐにご理解頂けるのではないかと思う。
あくまでも未来に向けたある意図があって米国勢もそうした「役割」を与えられ、それを粛々と執行しているに過ぎないのである。無論、そこでそうした未来に向けたある意図について私は知るに及んでいるが、余りにも深淵な話なのでここでは明らかにすることはしない。だが端的に言えば、米国勢という一つの国家の国益が云々といったレヴェルではなく、正に未来に生きる私たち日本勢の子孫を含めた人類全体の「在り方」に対するエクササイズとして、米国勢は創り上げられ、育てられ、そして現在の「役割」を試されているに過ぎないとだけは言っておきたいと思う。
だが、この様にエクササイズであるが故に、米国勢にとっても今、あえて試練が与えられるのである。もっともそれは世上語られている様な俗っぽいレヴェルの話ではないことに注意しておかなければならない。なぜならばそこで米国勢に与えられているのは「太陽活動が激変し、端的に言うならば黒点数が大幅に現象し、気候変動が発生、特に北極圏を除く北半球で寒冷化が急激に進展する中、一方では人体の免疫力が急低下し、感染症が大流行し、他方ではグローバル経済がデフレ縮小化へと急展開する」という状況に対して如何に対応するかということに他ならないからである。トランプ米政権は発足当初から大変な混乱ぶりを見せているが、結局のところ、そのリーダーシップの上になればなるほど、「この真実」を知っているからこそ、「どうしたら良いのか」と悩み、駆けずり回っているからこそそうした混乱が生じていると見るべきなのだ。
最近、我が国で名だたる大企業各社の凋落ぶりが著しい。「東電」問題然り、「シャープ」問題然り、そして「東芝」問題然り、である。そしてこれらを私たちは普段、それぞれの企業の幹部たちの能力の無さ、「自責」を問う能力の無さが故の現象としてとらえてしまっている。だが、実はそうではないのである。我が国は戦後、「日米同盟」という仕組みを創り上げ、それによって先ほど述べたような意味での「簿外資産」さらには「国富」の対米注入スキームの発展を支える一方、その反射的効果としての経済的な利益を享受してきたのである。そしてそうした仕組みの管理人としての仕事をその実果たしてきたのが我が国の「内閣総理大臣」だったわけであり、かつその補佐を装いつつ、時の政権とは別に超然とこのスキームそのものを維持することだけに専心してきたのが我が国の国家官僚制(とりわけ「大蔵」「通商産業」そして「外務」の各省)なのであった。
こうして創り上げられてきたスキームの上へ、戦後の混乱期の中、時に血縁、あるいはシンクロニシティを通じてピック・アップされ、大量の「簿外資産」を注入されて急成長させられてきたのがこれら我が国の大企業の実質なのだ。そしてこれら大企業たちはいずれも米国勢をマーケットとして存分に利用し、更に拡大の一途を辿ってきたのである。「通商産業」省が何故に大企業を優遇し、他方では中小企業については補助金漬けにすることで絶対に大企業にはならない様にしてきたのか、その理由は正にここにある。
だが、今や「環境設定」そのものが変ってしまったのである。先月(3月)になって太陽黒点数がゼロ(!)という日が2週間近く続いたことを米航空宇宙局(NASA)が発表をし、インターネット上の一般メディアで静かな反響を呼びつつある。だが、一体どれほどの人数の者たちがこうした「黒点数の異常な現象」こそが人類全体を危機に陥れるトリガー(引き金)であることを熟知した上で行動出来ているであろうか。戦後、GHQという名の米軍によって占領され、以後、現在に至るまで主権を完全には回復出来ていない我が国において、伝統的なマスメディアは「未来」について語ることは出来ない仕組みになっている。したがってこの余りにも重要であり、グローバル・アジェンダの根底を成しているこのことについて、我が国マスメディアは一切語ろうとはしないのである。だがそんなことには一切お構いなしで現実は、そう「自然(じねん)」という壮大な現実は着実に動き続けているというわけなのだ。
無論、こうした絶体絶命の局面転換に対してエクスペリメント(実験)装置としての米国勢がうまく対処できるという保証はどこにもない。また対処できたとしても、そのプロセスはかなり壮絶なものになることが予期出来るのであって、さすがの米国勢も満身創痍になることが容易に想定出来るのである。しかしだからこそ、こうした状況に期待をかけて止まない勢力がいるのである。19世紀末の「米西戦争」の結果、スペイン勢から米国勢へと植民統治をする「主人」が変り、その結果、かつての高い民度が徹底して破壊されるまでの抑圧を受け続けたフィリピン勢がその展開である。あるいは東欧勢ではバルカンの諸国勢やルーマニア勢等が同様の心持であるというべきだ。彼らは心の底から「グローバル・リセット」を望んでいる。なぜならばそれこそがこうした、これまでのグローバル秩序の中で「役割」として虐げられてきた諸国勢にとって唯一の救済だからなのであって、フィリピン勢のデュテルテ大統領に示されるあの傍若無人さは、こうした虐げられてきた諸国勢における眠れる「国体」勢力がいよいよ首をもたげてきたことの決定的な証拠に他ならないのだ。
「それでは我が国はどうすれば良いのか」
そう思っていた時、ふとこんな一節に出会った。
「日本が世界からの孤立化を防ぐには、世界経済の重要諸課題に積極的な政策をもって立ち向かわなければならない。そのさい、アジアの文化と社会の問題を重要視し、東洋の道義精神をもって福祉国家の建設をめざすべきである」
戦前から戦中、そして戦後にかけて正にこの「簿外資産」の世界を駆け抜けた勇者の一人である小日向白朗が遺した言葉だ。その先見の明に、今だからこそ敬服せざるを得ないのは私だけだろうか。これこそが世間でいうワールド・シフトの本質であり、かつこれから私たち日本勢こそが取り組まなければならないことなのである。そしてこのことに専心するためには、まずもって己の経済生活が十全たるものでなければならないのであって、完全なる発想の転換と早速の行動をもって、「このこと」への道のりへと一歩、そしてまた一歩、この瞬間だからこそ、そして幸運にして我が国に生まれたからこそ、進み始めなければならないのである。
来る22日の講演会では、「それではどうしたら良いのか、何を考え、如何に行動すべきか」と共に考え、動く方々と共により集い、いよいよ到来した我らが新時代について大いに語り合うことが出来ればと考えている。それにしても10年とは「光陰矢の如し」であった。これから訪れる10年は更に「光の時間」になることであろう。そう、強く感じて止まない。
2017年4月2日 東京・丸の内にて
原田 武夫記す