汝、グスコーブドリの顰に倣え。(続・連載「パックス・ジャポニカへの道)
昨夕の会食であまりにも衝撃的な事実を知るに至りました。その場にいあわせた二つの、全く異なるルートからの情報提供が完全に一致。タイミングも割り出せました。
世界の終わりが・・・見えました。
このままでは、そうなる。確実に。
もっともたった一つだけ方法はある。
余りにも非力なやり方ではあるけれども、しかし「それ」しかない。
こうなることは誰しもが分かっていたにもかかわらず、止めることが出来なかった。ただ、まだこの瞬間から動くのであればギリギリ間に合うかもしれない。
傍らにいる将来世代のために。
愛すべき人々のために。
そして私たち自身、さらには愛する我が国、世界全体のために。
米欧、とりわけ米国からしばしば要人が飛来しては、何をしているのか分からない滞在を「そこ」でするのはそのせいだったのです。
そして我が国の本当の”権力の中心”(安倍さんではありません)が先般のご訪問の際、遠く、「その施設」の方を見つめられ、諦観とも希望とも言えぬ表情をお見せになったこと。それらの理由が全て明らかになりました。
私の脳裏に浮かんだこと。
それは宮沢賢治の小説「グスコーブドリの伝記」、です。
前代未聞の疫病に苦しむ人々を救うため、博士と共に火山を爆発させ、温暖化を招くための装置を開発したグスコーブドリ。
しかし最後の最後に、その装置を火山の山頂でswitch onにする誰かひとりがいなければならないことを博士に告げられます。
「僕がやります。博士はこれからも世界の人々を救ってください」
グスコーブドリは笑顔でいって、山頂を目指します。そして・・・火山は無事に爆発し、暖かな風と共に世界は救済されることになるのです。
もはや、誰の責任かなどと言っている場合ではないのです。
残りは2年しかない。
私たちが何もしなければ、全く動かなければ私たちの国・ニッポンは半分が消失してしまう。
与那国島の海底遺跡がなぜ生じたのか、よく分かった気がします。
そうなるのか、ならないのか。それは全て、私たち自身にかかっているのです。
今日この瞬間から1秒1秒、「生きること」を噛み締めなければ前に進まなければならない。
この死の跳躍を越えることが出来た時・・・Pax Japonicaが訪れる。そういうこと、なのです。
是非、拡散してください。心よりお願い致します。間もなく、明らかにされます。
2018年7月3日 東京・丸の内にて
原田 武夫記す