暑いからビール、寒いからウォッカ、グローバルからローカル
引き続きエストニアからこんにちは。
日本では桜もちらほら咲き始めたようで、季節はもうすっかり春かと思います。こちらではまだここ数日ずっと小雪が降り、視界を白く染めています。気温もマイナスと日本に比べれば大分低いですが、1ヶ月前に比べてそれほど寒いとは感じません。
前回話にでていたエストニアの開発会社との共同案件は顧客との交渉が長引いている関係から、キックオフはもう少し時間がかかりそうです。というわけで現在は引き続き、在宅で日本、フィリピンのチームとプロジェクトを進めています。
エストニアの人たちはお酒が好きです。特にウォッカ。年配の方など、男女問わず道端でおもむろにウォッカの瓶を煽るのを見た時はなかなかに驚きました。フィリピンでも夜になればそのへんでサン・ミゲルのビールを何瓶も開けていたりしますが、こちらのビールは薄くてアルコール度数も日本のビールより軽いです。やはり夏にビール、みたいな感覚で、寒いしウォッカ、なのでしょうか。
さてそんなエストニアですが、特に港の近くは大型リカーショップが多いです。そして店を覗くと、家族連れや若者のグループがそれこそカートに何ケースものお酒を満載している姿が見られます。エストニア人の生活はどれだけ酒浸しなのかと目を疑うのですが、実は殆どはフィンランド人を筆頭に近隣国の旅行者、特にタリンまでフェリーで3時間程のヘルシンキから、エストニアに自車で酒類を買いに来る人々です。まさに週末郊外に買い物に出かける程度の気軽さで大量のお酒を購入して車に積み込む人たち。格好もいたってラフで、子供は車の中で退屈そうにゲームをしていたりします。
これは近隣諸国はエストニアに比較して物価と酒税が高いのが原因で、たとえ交通費と、場合によっては関税(国ごとに量は違うそうですが)を払っても、エストニアで購入したほうが安いからだそうです。
この説明をうけた時は、「さすがEU、本当に国というより地域という感覚なのだなぁ」と思いました。お得意の安直な「グローバル感」を感じていたわけです。
その後、私も週末にフェリーでヘルシンキに行ってきました。ホテルを予約する段階で薄々は感じていましたが、いざ現地につくとその圧倒的物価の高さに思わず唖然。スーパーに行き酒類のコーナーを見てさらに呆然。ペットボトルの水ですら高いなぁと思ってしまうのに、酒類に至っては軽くエストニアの3倍から5倍の値段です。取り扱い種類自体はほぼ同じでした。
これは異国。完全に別世界です。もちろん実際に異国なので所得も税制も景気も異なる以上当然なのですが、パスポートもほぼ見向きもされず両替する必要もなく、着の身着のまま足を伸ばせるこの場所でここまで価格に相違があるというのが自分の中では衝撃的でした。
だがしかし同一通貨のユーロなのに!経済学的なあれこれや客観的事実を一旦無視し、完全に一庶民の感覚を通すと、グローバルも通貨統合もくそくらえで、一歩自郷を出ると須く異国なのだなと思わざるを得ませんでした。
ところでこの話全くIT関係ないじゃん、と思われそうですが、この感覚が今プロジェクトでぼんやりと感じていたあれこれと一致したので、書いてみました。
グローバルECという、いわゆるamazonのような世界中を対象としたオンラインショッピングサイトを考えるときなのですが、グローバル化しようとすればするほど往々にして結局は数限りない細やかなローカライズ(現地化)が必要になってきます。つまりはある特定地域のユーザーに向けて、サービスを最適化するということです。サイトの表記を多言語にしたり、通貨や運送手段を変更するといったサイト上の変更から、問い合わせを各言語で受け付けたり現地のメディアに広告を打ち出したりといったカスタマーサポートやマーケティング面の動きまで含まれます。
今や母国語が英語でなくとも、英語のサイトで買い者をするユーザーは多いです。決済もクレジットカードを使えば通貨換算の問題は有りますが不可能では全くありません。運送も国によっては多くの問題がありますが、こちらも最適な手段を駆使すれば世界中に品物を届けること自体はできます。
不可能ではないのですが、むしろどんどんその方向性に進んでいっているとは思うのですが、やはり現地化(ローカライズ)の重要性は高く、値段設定や広告、ニーズや保証、顧客サポートなど、ひとつ「売る」という行為を見ても世界中どこでも通じるスタンダードというのはありません。地球規模で展開できる超巨大資本が何か打ち出すのだとまた話も違うのでしょうが、例えば現在日本をメインターゲットにした日本語通販サイトをグローバル化したいというとき、日本バージョンを世界向けに積分するのではなく、むしろ数限りなくローカライズしていく微分作業に似ています。そうでないと全く見当違いでどっちつかずの微妙なサイトが誕生してしまい、思ったように売上や集客を上げられないことになってしまうでしょう。それでも海外ユーザーが多くつく場合もあるかと思いますが、恐らく多くの場合はユーザーに地元のスーパーに買物にでるときには感じ得ないであろう、何らかの不便を強いている可能性が高いです。
こうした地域性というのは、地理的条件や歴史といった大きな前提条件やそこから派生する法律や文化といったものに強固に「最適化」された結果だと思うので、一企業ががむしゃらにぶつかったところでびくともしないでしょう。だからと言って逆に振り切ってがむしゃらに現地に合わせればいいのかといえばそうではなく、そんなことをして膨大な手間をかけて何のためのグローバル化だったのか、という本末転倒な結果にもなる可能性も高いです。
そうした数限りなく細分化されていく地域の垣根を一律取っ払い新たな価値を生み出すのが本当のグローバル化なのか、それともそうした垣根をひとつひとつ丁寧に超えて柔軟に対応するのが本当のグローバル化なのかは私にはわかりません。文化的に、経済的に、技術的に、どちらが望ましいのかもわかりません。
ただこの「現状が最適化された結果」というのを認識するのは意外に大事かと思うのですが、例えば現在エクセルだけで行われている業務をIT化するときに、「エクセルで目的を遂行するために最適化された業務内容」とその目的自体をきちんと別物として認識していないと、膨大な時間と予算を使ってその業務にローカライズされたエクセルの亜種(大体において機能はグローバルなエクセルより劣ります)を生成することになりかねません。
少しグローバルとローカルの意味合いが曖昧になってしまいましたが、全体と個といいますか、ITの場面に限らずかなり普遍的な問題なのではないでしょうか。
私の生活や仕事自体はどこの国にいてもインターネットさえあればできるグローバルなものですが、仕事が終わってからお酒を飲もうと思うとそれは現在の地域に最大限ローカライズされているのです。残念ながら私はウォッカは飲めないのですが。
【プロフィール】
楼 まりあ
神戸・東京・マニラのオフショア開発を繋ぐブリッジSEとして日系企業に勤務。東欧での新拠点をリサーチするため現在エストニアに長期滞在中。大学時代、マニラオフィスのオープンスタッフとして1年間マニラに滞在。NYでインターン経験有。
東京大学経済学部卒。