太る家は家なのか?~街中アートが問いかける~
特別コラムニストのふらぬーるです。
すっかり暑くなってまいりましたので夏バテなどにはお気を付け下さい。今回は東京の暑さから逃れて十和田からのアートリポートです。
家は太るのか?車は太るのか?
写真のアートは我々にこのユーモラスな質問を投げかけています。
十和田市の中心街に突如として現れるパブリックアートです。「え、何、マリオカートの世界!?」と思わず目を見張ってしまう、ポップで可愛らしい雲のようにもくもく太った家と車です。
作者はオーストリア出身のErwin Wurm。彼はこれまで「私たちの当たり前」を裏切るメッセージ性の高いアートを作ってきました。
家や車は太らない。無生物は太らない。これが我々の一般常識です。無生物と生物の間にあるのは、生体変化があるかどうかということがひとつであり、「太る」というのは生物のみの特徴なはず。
しかし、この太るという生物特有の仕組みを無生物、機械に重ねることでFat House, Fat carが生まれました。
ここで太った車というのは、お金やプライドを鼻にかける車の所有者の態度、つまり行き過ぎた消費や現代化(urbanization)の結果を表しているのです。
逆に痩せた家というのは、資源やスペースの不足へ適応した結果であるといえます。Wurumがまるで生物のように環境に適応して変化するようプログラムしたのは家だけにとどまりません。トラックやボートなどあらゆる機械が生体変化の仕組みを持ったら?
面白いのはこれらが美術館という非日常的空間に陳座されているのではなくて、道端にいきなりドカンと現れると言うこと。
我々の日常世界に遠慮なく視界に入ってくるsurrealな無生物(いや、生物としての変化の仕組みを手に入れたのならば生物と呼ぶ方が正しいのでしょうか?)はあまりにそれが唐突に現れるので、“アート”として向き合う以前にピュアな衝撃を与えてくれます。
現代アートについては我々と同時代に生きる作家が生み出すものだから背景知識がほとんどない人でもピュアな驚きを楽しめます。だからこそ美術館に今まで足を踏み入れたことがない人にもアートを観て何かを感じてほしいなと思うのです。本日紹介したFat house, Fat carを含め野外に置かれたパブリックアートで遊ぶ子どもたちが、「お母さん、これ何~?なんで家がむくむくしてるの?」などと問いかけるのを聞いて微笑んでしまいました。
Fat hous, fat carや草間彌生のパブリックアートと道路を挟んで向かいにある十和田市現代美術館も美術館の外にいる人たちにもアートを訴えかける非常に“透明性”の高い美術館です。
壁画には奈良美智のいつものあの、気だるそうにしている女の子。赤い蜘蛛や花でできた馬のオブジェ。そして中の展示や美術館で観賞を楽しむ人が外からガラス越しで丸見えなのです。だから外を通っていてもなかなかそちらを見ずにスルーさせてはくれない強力な誘惑を放っているのです(笑)
十和田市現代美術館の設計は西沢立衛。彼が妹尾和世と組んでいる建築ユニットSANAAは建築界のノーベル賞と呼ばれるプリッカー賞を受賞しています。ちなみに安藤忠雄設計の十和田市民図書館、隈健吾の十和田市市民プラザが現代美術館から徒歩圏内にあり、十和田市の建築の充実ぶりは素晴らしいです。
ちなみに十和田市現代美術館では今月から9月25日(日)まで大宮エリーさんの個展「シンシアリー・ユアーズ ― 親愛なるあなたの 大宮エリーより」が企画展として開催されています。
十和田市内の商店街を中心に、美術館と街をつなぐプロジェクト「大宮エリーの商店街美術館」も同時開催されています。まさに街を巻き込むパブリックアートが美術館を中心として街全体に根付いくようになったのが十和田市の新たな魅力であり、観光地として再注目を浴びている理由なのでしょう。
私にとってエリーさんといえば、電通出身のラジオパーソナリティという認識だったのですが、数年前に渋谷ヒカリエでライブペインティングをされているのにたまたま遭遇して驚いた覚えがあります。本当に我流で自由に描かれた、肩の力がすっと抜けるようなあったかい絵でした。
いつのまにか、詩集を出されていたりMISIAさんの歌の作詞をされていたり。常に変化している人って隣にいると面白いですね、人生の“速度”というものを考えさせられます。大切な核の一貫性は保ちながらも、よりよく世界で生きるための変化を恐れない勇気をもらったひと時でした。
【執筆者プロフィール】 flaneur (ふらぬーる) 略歴 奈良県出身、1991年生まれ。都内医学部に在籍中。こころを巡るあれこれを考えながら、医療の『うち』と『そと』をそぞろ歩く日々。好きなことば : Living well is the best revenge.