シニョリッジと私の原点。 (連載「パックス・ジャポニカへの道」) - IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 - haradatakeo.com
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シニョリッジと私の原点。 (連載「パックス・ジャポニカへの道」)

最近、ふとした拍子に1992年秋に目の当りにしたことを想い出した。私が東京大学法学部で大学3年生だったころのことである。

私は当時、初めての海外旅行はシベリア鉄道に乗ると決めていた。理由は想い出せないが、とにかくそう決めていたのである。家庭教師のバイトで小遣いを貯め、私は新潟からハバロフスクへと旅立った。20歳の時のことである。

旅は最初から異様な出来事の連続だった。共産圏特有の問題(ホテルに到着してもチェックインのために数時間待たされる、パスポートは取り上げられる等)はともかく、驚愕したのは文字どおり「国家が崩壊している」という現実だった。

とにかく、食べ物が全くない。ホテルにも、駅にも、街頭にもどこにもないのである。飢えた気分で街をさまよっていると時たま、とんでもない行列に出くわす。そう、とてつもない長さの行列なのである。気が遠くなりそうな長さだ。

「何だろう、これは」

そう思いながら行列の先頭を探していくと例外なくそれは何か食べ物を売り出している現場だった。しかも立派な食べ物では決してない。実に大したものではないのである。だが人々はそれを奪い合うように買っている。売る側はといえば「小権力者」よろしく、実にエラそうに分けあたえている。そして売り子の手許に積み上がっていくルーブル札の束。

あるいはこんなこともあった。ホテルでの出来事である。飢えた気で街角から戻った私は「ホテルならばそんなこともあるまい」と想い、レストランへと向かった。するとそこには缶詰から出したと思しき冷菜がよそってある皿が既にテーブルにたくさん並んでいた。そしてほっと安堵の気持ちを覚えながらそこに立っているウェイターに「1人だけれども、入れるか」と聞くと「ニエット(NO)」とにべもなく言われたのだ。何度聴き直しても同じように答えるのでさすがに怒りを覚えていると、片言の英語で彼はようやくこう切り返して来たのだ。

「ルーブル支払で食べることのできる食べ物はここにはない。だが西側通貨(ハード・カレンシー)を御前が持っているのであれば食べ物を食べさせてやっても良い」

実に度肝を抜かれた。ホテルの売店では国際通話が可能な電話で使うテレホン・カードが売っていたが、東京への通話料金は5分間で1万円だった。我が国は当時、「平成バブル」の余韻が未だあったころなので今の学生諸君には悪いけれども、当時、未だ学生だったとは言え私は「金満国・ニッポン」の一員としてカネを持ってはいた。だがこのウェイターの対応には開いた口を閉じる事が出来なかったことを今でもよく想い出すのである。

しかも、モスクワのインツーリスト・ホテルのロビーで例によってチェックインのために3時間も待たされていると、ソファに座る私の傍らにはひっきりなしにジャンパーを着た「ソ連人」の若い女性たちがやって来るのである。最初は無視していたが、中には真面目そうな女性もおり、それにどこから見ても普通のジャンパーを着た女性たちだったので声をこちらからかけてみた。

「君たち、一体何をしてるの?」

「・・・(笑)」

「仕事は?」

「私たちはモスクワ大学の学生よ。教育学を学んでるわ」

これにも心底びっくりした。要するに彼女たちは生計の足しにするため、春を売っていたというわけだが、それがソ連ではトップ・レヴェルの教育機関に学ぶ女学生たちの日々の当たり前の営みになっていたというわけなのだ。繰り返しになるが未だ我が国の大学生であった私は戦慄を覚えた。言ってみれば「東大女子が当たり前のように都内有名ホテルのロビーで春を売るべく、客に誘いを大勢でかけている」ようなものだからだ。愕然とした。

話は変わって現代。―――先日、神戸にて華僑・華人ネットワークのハイレヴェルの御方と親しく会話させて頂く機会があった。その際、こんなことを教えて頂いたのである。

「1992年当時、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の副大統領であったアレクサンドル・ルツコイを仲介者として、日本から大勢の新興宗教の代表者たちがゴルバチョフ・ソ連大統領と面会をし、その様子が大大的に報道された。『オウム真理教』もその一つだ。ルツコイとは旧知の仲であったので、何故こんなに気前よくゴルバチョフと会わせるのだろうかと思っていたらば、必ず何等かの金銭的な支援をルツコイは求めているというので、今度は一体何のためにそんなにカネが必要なのだろうと思うようになった。すると1993年10月、エリツィン大統領(当時)と袂を分かったルツコイらが立てこもり、モスクワ市内で戦車まで動員される銃撃戦となったのだ。この『モスクワ10月政変』になってようやく理解出来たのだ、ルツコイがあれほどまで気前よく日本の新興宗教の指導者たちを引き合わせ、カネを撒き上げていた理由が。要するに権力を最後は握るためだったのだ」

この話を聞いていて私の胸中には一つの言葉が浮かび上がった。――“泥棒国家(Raeuberstaat)”。国家が「夜警」としての役割を果たしている間は未だ良いのである。いざとなると国家権力機構を任され、その意味で「番犬」に過ぎなかったはずの権力者たち突如としてその武力装置を用いながら、国家全体からの強奪を始めるのだ。正に万人の万人による万人のための闘争、である。その結果、国家秩序は消滅し、餓鬼が隣の餓鬼を襲い合う世の中、となる。

今思えば、全てはソ連政府の金庫が長年の軍拡競争と官僚機構の腐敗によりカラとなり、そのことが物不足となって市民生活を直撃し始めるのと同時に、今度は人々が国家としての通貨「ルーブル」をあからさまに使わなくなったことから全てが始まったのである。つまり国家として当然に持っている重大な権能の一つである「通貨高権」を行使しても、そこから利益を得ると言う意味での「シニョリッジ(seigniorage)」が全くもって失われたことから、国家機構は完全に溶解し始めたのだ。目ざとくその真実を見抜いたかつての”番犬“たちは入れ替わり、立ち代わり、旧ソ連の権力を強奪しようとあからさまに殴り合いを始め、国家は遂に騒乱状態に陥ることになる。そして後に残されたのは、かつての通貨「ルーブル」の札束というゴミの山だったというわけなのだ。

これが、その後の私が行って来た仕事の全てにあたっての“原動力”とでもいうべき原体験であったことを、ここで告白しておきたい。外務官僚へと旅立とうとし、正に憲法学でいう「国家への自由」を行使しようとして矢先に、私は既に先回りし、「崩壊する国家」の将来像を見てしまったのである。したがってまだバブルの余韻が残る中、日米安保論などを無邪気に熱く語る同期の同僚たちを見ながら、私の目をどこかしら常に冷めていた。なぜならば私は他ならぬ隣国である大国において、この目で見たからである、「国家が崩壊する瞬間」を。

あれから早いもので四半世紀近くの月日が経った。今正に我が国において起きていることを振り返ってみるに、あの時の「ソ連崩壊」は決して他人事ではないと言わざるを得ないのだ。ところがこの場に及んでも、こう言って止まない御仁たちが未だいるというのだから驚きだ:

「我が国はデフォルト(国家債務不履行)に決してならない。これほどまでに対外債権があり、技術力のある国でそんなことが起きるわけがないのだ」

こんな言葉を堂々と吐く夢想家たちを、私たちは全くもって無視して良い。なぜならば物事の本質を全くもってとらまえていないからである。

国家が崩壊する要因。それはシニョリッジが失われるところにある。そしてこれがなぜ失われるのかといえば、他ならぬ私たちの通貨「日本円」に対する信頼が失われることによるのだ。そうした信頼喪失の原因はといえば、中長期的にいうと窮乏生活が長くなる結果、カネではなく、モノしかないという風潮が広まることによる。事実、去る2月11日から期待インフレ率は全ての商品(モノ)について上がり始めている。そして東京の街角では、今や普通の女性たちが春を売っているということは、公然の事実なのである。

無論、これだけでは辛抱強い私たち日本人自身が「国家崩壊」へとすぐに動くとは言いにくい側面もある。だがシニョリッジが失われていることが誰の目にも明らかになるのは、我が国政府が発行する債券(=日本国債)を巡り、諸外国のプレイヤーたちが極端に厳しい評価をし始めた瞬間なのだ。今や、日本国債の日々の取引と言う意味で、彼らの占める割合は8割以上である(単純な日本国債保有量とは全く異なる)。彼らが束になってかかればいかなる大国の国債であれ、紙くずにすることは可能なのである。1992年9月16日に発生した「英ポンド危機」を思い起こせば、このことはすぐに理解することが出来る。何せ、あの時、“大英帝国の金庫番”イングランド銀行を相手にポンドを売り浴びせたことで「伝説の投資家」の名声を恣にすることになったのがジョージ・ソロスだったのであるから。

「いや、それでも日本デフォルトなど絶対に起きない。起きないと言ったらば、絶対に起きない」

“望んでいることしか世の中では起きない”とかたくなに信じる思考のことをwishful thinkingと英語ではいう。日本語でいうならば「希望的観測」といったところであろうか。確かに、誰もが我が国において、我が国自身によるデフォルト(国家債務不履行)が望ましいなどと考えている向きがいるわけもない。その意味において、我が国が本当にデフォルトになる可能性は低いように思えて仕方がないことも大いに理解出来ることも事実だ。

しかし、である。繰り返しになるがシニョリッジを失わせしめるのは一方では「日本円」に対する信頼を私たち日本人が失うという事態であるのと同時に、他方ではそうなるように徹底して「日本的なるもの(=日本円、日本国債)」を売り込む挙に出る諸国勢でもあるのだ。そしてその筆頭格である米欧勢こそ、実は私たち日本勢からすると想像を絶するような「全く新しく、かつ実は異空間において確立されている原理」によるグローバル社会の再編を画策しているという非公開情報を先日、耳にした。紙幅の都合上、その詳細については別の然るべき機会に語ることとしたいが、いずれにせよそうである時、我が国という存在そのものが邪魔であるならば、米欧の統治エリートたちは我が国を木っ端みじんにするはずなのである。そのためにシニョリッジを失わせることなど、彼らにとっては朝飯前だ。なぜならば現下の国際金融経済秩序は、他ならぬ米欧勢の統治エリートたちが創り上げてきたものなのであるから。

紙屑になったあの時の「ルーブル札」が今や読書の時に使うしおりにしかならないように、デフォルトになった後の日本円は国家崩壊が進む中、燃料難を耐えしのぐために燃すことくらいでしかもはや使うことが出来ないのだ。全てはその意味でシニョリッジから始まるというのに、「異次元緩和」「マイナス金利」で史上空前の量の日本円を日本銀行がばら撒かざるを得なくなっていることは一体どういう意味を持つのか。私たち日本人全体の民族としてのセンスが今、問われている。

2015年3月20日 北海道・トマムにて

原田 武夫記す

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