オフショア開発と赤いボタン
皆さまはじめまして。楼まりあといいます。
今回から『グローバルとIT』をテーマに、ちょっとしたコラムをお届けできればと思います。
大層なテーマを掲げていますが、私自身は百戦錬磨のIT戦士というわけでもなんでもなく、
現在フィリピンのオフショア開発課のド素人ブリッジSEとして、日々直面したり考えていることを文章にしてみようという程度のものです。
初めましてを兼ねて少し自己紹介をさせていただきますと、
私とフィリピンの出会いは大学在学時でした。
父の経営する会社がマニラにオフショア開発のオフィスを出したいということで、
そのオープニングスタッフとして手伝いに呼ばれたのです。
「どうせ暇であろう大学生にいい経験をさせてやろう」
などという一片の美辞麗句となんとも失礼な内容のメールに、
「まぁ東南アジアも行ってみたいしなぁ」程度の考えでOKの返事をし、
その数カ月後には全くよくわからないまま南国の降り注ぐ殺人的な太陽光線、もうもうと熱風にのる排気ガス、4月なのに桜並木ならぬ椰子の並木を眺めていました。
それから1年マニラで暮らし、大学に戻り卒業後はまた一年、アメリカはニューヨークで海外インターンを経験しました。
帰国後紆余曲折の末、また今度別の地域でオフショアオフィスを模索したいという要請を受け、現在フリーランスの外部スタッフとして、再び父の会社でお手伝いという立場に身を置いています。
私の業務はただひとつ。マニラオフィスに勤務するフィリピン人プログラマーを主とする開発スタッフと、クライアントとやり取りを行う現場日本人スタッフやプロジェクトマネージャーとの間に入り、潤滑なシステム開発を進めることです。
経済学部出身の私は別にプログラムがかけるわけでもITの深い知識や経験があるわけでもないのですが、必要に迫られてはシステム設計や仕様書づくり、コーディングやテストをしたり、マニラスタッフの労務管理や、開発課全体と相談して人員の交渉をするなど、なんだかんだとオフショア開発の一通りの業務をちょこちょこと経験させてもらっています。
正直に言ってしまうとオフショア開発というのはめんどくさいです。
とにかく一切合切がイチイチ面倒です。
例えばWEBページを修正しようとするとき、
「○○というページの、ログインボタンと新規登録ボタンの左右を入れ替えてください」
というスカイプにして数行ですむ依頼も、該当ページのURLをコピーし、キャプチャをとり、ログインボタンと新規登録ボタンを丸で囲い入れ替える矢印を書き込んで指示をだす、というプロセスが必要になります。この程度なら画像だけ、文章だけの指示でも大丈夫ですが、複雑な修正要請になると事はもっとややこしくなります。
日本から遠隔で指示を出すときは画像、テキスト、チャット、ビデオチャット、画面共有ツールと、コミュニケーションに大半の労力と時間を割いているといっても過言ではありません。
とにかく余計な差し戻しややり直し、実装ミスを減らすために、少しでも疑問があれば必ず確認と質問をするように皆で気をつけています。
たかだかボタンの位置でしょ?と思われる方もいるかもしれませんが、試しにロシア語かタイ語のWEBサイトでも開き、新規会員登録でもしてもらえれば、なんとなく私の仕事の概要を理解していただけると思います。
フィリピンではプログラマーは大学生憧れの高給取りな職業として認知されていますし、世界中の国のオフショア開発の一拠点として名が挙がる国です。ただいかに彼らのプログラミングの能力が高くとも、画面が日本語で想定ユーザーが日本人である以上、完璧というのはあり得ません。ほとんどの新人フィリピンスタッフが税計算をしたら、小数点つきで答えを返してきます。日本ではファミリーネームが先ね、と何度言っても、未だに各所で表示が入れ替わっているので注意が必要です。西暦和暦換算のプログラムなんてマニラスタッフに任せるほうが間違っているのです。
最初の研修課題では、赤い「登録」ボタンを押したらデータが削除されたことも何度かありました。これは隣の「削除」ボタンに実装して欲しいんだけどなぁ、なんてことも当然起こりえるのです。
それ以外にも、マニラの交通機関は世界でもトップクラスの効率の悪さですので、渋滞で会社に来れない、帰れないことも多々あります。雨季や台風の時期の出勤にも気をつけなければいけません。インターネットや停電といったインフラの問題もあります。
こういった伝統や文化の違いによるうっかりというのはもう避けられないものなので、一つ一つ地道に対処していくより仕方がありません。
「やっぱりオフショア開発はダメだ!」「フィリピン人ではクオリティが…」と言うのは簡単です。日本人相手に仕事するより、余計な労力を払わなくてはなりません。大変めんどくさいです。
ただ本当にそれは「余計」な労力なのか?というのは少し、考えてみてもいいんじゃないかと私は思います。
価格に小数点をつけるな、なんてことまでイチイチ指示出さなきゃ伝わらないのか!と嘆くのもいいですが、そもそも税込価格を計算するときには切り上げるのか切り下げるのか、四捨五入するのか、仕様書にきちんと明記されているべきなのです。実際お客様のなかには、使用しているソフトが用いる端数切り下げ・切り上げの違いから、伝票データと会計データの結果に1円の差が生じる「1円問題」が存在しています。
なんとなく、当然伝わるだろう、このくらい常識だろう。こんな思い込みが盛大なミスや勘違いに繋がった経験が、誰しもあるかと思います。それがたまたま、フィリピン人と仕事をすると顕在化しやすいだけなのです。
センタボ(1ペソ以下の硬貨)が存在するフィリピンでは価格は小数点表示が当然ですし、ファーストネームなのに最初に来ない日本語表記の方が直感に反しているのです。毎回空港から市内まで1時間から4時間の振り幅をもって渋滞に巻き込まれれば、朝30分程度の遅刻を注意するのもナンセンスだと感じます。
だからどうして欲しいのか、きちんと明確に伝わるまで伝えればいいだけの話です。
日本人のプログラマーが「登録」ボタンに「削除」のプログラムを埋め込むと、それはただ彼・彼女のミスとして指摘されるでしょう。ただそれを実装したのが日本語のわからないフィリピンのプログラマーだとしたら?成果物の確認の手順、コミュニケーションの取り方、指示の出し方を改善しようと多くの人が考えるのではないでしょうか。
大体、なぜ「赤い」ボタンが「登録」に設定されているのでしょうか。前からそうだから?何か特別な理由があるから?
3年ぶりにマニラオフィスに訪れた私を、皆「Hey Maria-san!」ととてもあたたかく迎え入れてくれました。昼休みの度に「これは食べたことある?これは?」とお弁当の回し合いをしてくれます。夜遅くまで残業し皆でファストフード店に駆け込んで、日本のアニメとクライアントの悪口で盛り上がったりもします。
伝統とか文化とかの違いは、登録ボタンが赤なのか青なのかくらいの問題に過ぎないと思っています。
【執筆者プロフィール】
楼 まりあ
現在神戸・東京・マニラオフィスを転々としつつフィリピンとのオフショア開発を繋ぐブリッジSEとして日系企業に勤務。
大学時代、同マニラオフィスのオープンスタッフとして1年間マニラに滞在。
東京大学経済学部卒。