ある文明が終わる時に何が起きるのか (連載「続パックス・ジャポニカへの道」)
このブログは午前4時30分過ぎに起床して書いている。私はこのライフスタイルを何があっても崩さない。知人たちは皆、口をそろえてこういう。
「よくそんなに早起きが出来ますね」
私から言えば全く逆なのであって「よくそんなに惰眠を貪ることが出来ますね」とつい言いたくなる。なぜならば新しい朝が来るということは余りにも素晴らしく、また感謝し、同時に祝福すべきことだからだ。
毎朝、顔を洗うとまずは大きく窓を開け放ち、「気」を部屋へと入れる。そして戸外に出て大きく深呼吸しながら天を仰ぎ見る。今の季節=冬になると星がまだ輝いている。1日の違いなのだが、天空は着実に動いている。その時、ふと、ドイツ・ケーニヒスベルクで活躍した哲学者であるかのイマヌエル・カントの言葉を思い出すのである:
「我が上なる星きらめく天空と我が内なる道徳律(Der bestirnte Himmel ueber mir und das moralische Gesetz in mir)」(「実践理性批判」)
人間界で何があろうとも、毎日変わらずに天空は、そして地球は、大地は動いていくのである。このこと以上に畏れ多く、かつ偉大なることがあるであろうか。同時にその様なものとして私自身が感じるということもまた変わらないのである。日々の喜び、悲しみがいかにあろうとも、この余りにも直観的な気持ちには変わりがないのである。―――私は毎日を、こうした喜びと共に始めている。
先日、ロンドンで拙著「Pax Japonica」に関する講演を行った際、少しだけ時間があったので同行してくれたスタッフと共に「大英博物館」を訪問した。ほんのわずかな時間であったが、久方ぶりにそこに展示されている無数の文物の一部に触れることが出来た。そしてその時、直観的にこう思ったのである。
「これほどまでに偉大なる文明の数々はなぜ、忽然とその姿を消したのであろうか」
私たちは普段、世界史の教科書で文明や王朝の興隆と滅亡について学んでいる。確かにそこでは何が契機となってある勢力が一つの力となって他を圧倒するのか、またどういった「失敗」が決定打となってその文明や王朝が終焉の時を迎えたのかが大変”美しく”説明されてはいるのである。
しかし今、あらためてロンドンにおいて、こうやって巨大な発掘物を目の前にする時、どうしても釈然としないものが残るのである。頭の中ですとんと落ちてはこないのである。なぜか。
例えばエジプト文明を例にとってみよう。あれほどまでに巨大な石像を次々に創り出す能力がある文明が、何故、突然終わってしまったのであろうか。「世界史」の教科書は古代文明として持っていた絶対的な権力の強さとそれが故のもろさを語る。だが繰り返しになるが、そこには相当程度の科学技術の力があったはずなのであって、それもなお、この偉大なる文明は吹き飛んでしまったというわけなのだ。
そして痕として残されるのは、それ自体は音としての言葉を語りかけることのできない無数の文字が刻まれた石碑など発掘物だけなのである。私は考古学の手ほどきを受けたことがない。したがって古代文字を読むことが出来ない。だがそこに記されている無数の文字、見慣れない象形文字の連なりを眺めると、これを刻み込んだ先人たちが何らかの「とてつもなく強い想い」と共にこれを刻んだに違いないであろうと思わざるを得ないのである。
世界中をあらためて振り返ってみると、あれほどまでに強大な文明力を誇っていたにもかかわらず、忽然としてその姿を消してしまったものは数多く存在する。中南米の「マヤ文明」や「アステカ文明」がその典型だ。またそもそもこれらは巨大な遺跡を残しているからまだマシだというべきなのかもしれない。中には痕跡すら残っていない文明も多々あるはずなのだ。
そうした中で実に不思議なのが、「そのこと」すなわち「何故にそうなったのか」について一切記憶が人類の中で保たれていないという点にあるのだ。戦乱によってこれらの文明が無くなったにせよ、あるいは疫病によって消失したにせよ、必ず生き残った僅かな数の人々がいるはずなのだ。しかし大変興味深いことに、彼・彼女らが知っていたであろう「滅亡の時を巡る真実」は全くもって何もその後に伝えられてはいないのである。そして跡に残されているのはただただ、物言わぬ遺跡ばかりなのである。後世を生きる私たちはこれらの「文明の断片」から往時を偲び、滅亡の瞬間について推測するしかないのである。
要するに平たく言えば「記憶が消されている」というわけなのだ。物理的に生き残った人々も決してそのことについて語ることはない。いや、余りにも衝撃的な出来事であるが故に、そのことはあたかも「無かったかの様に」扱われているというわけなのだ。そしてある出来事を直接体験したものがそう振舞い、また何も遺さない時、結果として全てが言葉として伝承されることはなく、消えていってしまうのである。後に残されるのは・・・朝、天空が白み始めると共に輝く星たちが消えて行き、太陽が再び上る、その「事実」だけなのである。
今、私たちは「意識」をもって暮らしている限り、はっきりと気づき始めている。それは「もうこのままでは先に進むことはあり得ないであろう」ということである。すなわち現在の文明が明らかにその限界に到達しているということに気づき始めているのである。だが、私たちは「その次の文明」においては恐らく常識になるであろう事柄やランゲージ、そしてルールについて未だ知らないため、そのことをそれとしてはっきりと表現することが出来ないのである。これはあたかも「二次元に暮らしている者が三次元について語ることが出来ないようなもの」であり、また「主体的・能動的でしかありえない創造主からすれば、あくまでも受け身であり続ける被造物について云々し、比較することしかできない人類が余りにもつまらない存在であるように見える」ことと同じなのである。私たちは今、全員がそうしたやり場のないもどかしさの中で生きている。
そうした中でどうやらいよいよ「本質的なこと」が動き始めた感がしてならないのだ。「本質的なこと」、それは「文明を淘汰する波は常に天空からやって来る」というルールである。事実、ここに来て余りにも多くの、しかもはっきりとした形での隕石が地球に降り注ぎ始めている。そのことの異様さについて私たちの多くは気づき始めているのである。
私はかつて、敬愛する古神道のマスターであり、メンターである人物からこう教えられたことがある。
「これまでは東西の時代であった。そして今起きていることは磁場の転換に伴う、南北の時代の始まりだ。しかしこれも経過現象に過ぎない。最終的には”空の時代”がやって来る」
この言葉を聞いた時には正直、「何と荒唐無稽な」と感じたが、どうもそうではないことが明らかになりつつあるのだ。そしてそれは、先程書き留めたこととの比較でいうと、「これまで」と言う意味での近現代文明がいよいよ淘汰の時を迎えており、激しい、そう余りにも激しすぎるショックと共に私たち自身が次の文明へと、今ある意識をある意味、強引に脱ぎ捨てさせられる形で進む、その移行期が今始まっていると直感的に感じているのは、果たして私だけであろうか。
そしてまた、これまた荒唐無稽に聞こえるかもしれないが世界中のリーダーたちがここに来て急に「認知症」について語り始めたこともまた、このことと関係があるような気がしてならないのである(私の場合、科学者ではなく、また医療従事者でもないので、その意味での「常識論」ではないことをまずはお赦し頂きたい。しかし同時に、私と私の研究所はそうした「常識論」を超えたところだけで感じ取ることが出来るという意味での「適応性無意識(adaptive unconscious)」の世界においてのみ日々勝負し続けている。仮にそこでの分析や未来図が間違っているのであれば今頃、とっくのとうに私たちの研究所はこの世から消えてなくなっていたであろうし、そうではないということはイコール、そこに真実性があると是非とらえて頂きたいのだ)。つまり、こういうことだ:
「これから人類は、直近の文明が目の前で消失するという前代未聞の出来事に直面する。そして次のフェーズへと進んでいくわけであるが、その時、余りの衝撃のため、意識の断絶をなくしては多くの人々が前に進むことが出来ないのである。それは端的に言うと日々のストレスによる体内の急激な酸化という形で現れる。そしていったん酸化すると元に戻ることがある時から出来なくなるため、ついには脳に蓄積された記憶を引き出すための認知能力すら失われてしまう。こうした現象は既に始まっており、それが若年層であっても続々と現れ始めている認知症の大流行という現象に他ならないのである。単に高齢者の人口増加によるだけではない、認知症を巡る本当の恐怖がそこにはある」
弊研究所がここに来て立ち上げたヘルスケア部門「丸の内メディカル・サポート」において、真っ先に「認知症対策サプリメント Phenomenon 1969」を取り上げさせて頂いた理由はそこにある。無論、それは「高齢化が進む我が国においてこれから加速度的に進む社会全体の老齢化という重大な環境変化の中、さらには我が国の財政破綻(デフォルト)が生じるのが必定である以上、公的な医療保険制度が崩壊するのは目に見えており、そうした中で大量に生じて来る認知症患者の数を少しでも減らすべくあらかじめ努力をしたい」という強い想いによっている。だが、同時にそれだけではないことを読者の皆様には理解して頂きたいのであり、同時に先日このコラムに書いたビル・ゲイツを筆頭としたグローバル・リーダーらにも訴えかけていきたいのである。
それはあくまでも「今回だけは違う(This time is different.)」であるということだ。文明が失われる時にこれまで同時に生じてきた「集団的な記憶の喪失」という現実を目前に控え、それを抑え込むための人類史的なツールを少しでも早く皆様にお伝えしておきたいということなのだ。例えて言うならば、2011年3月11日に生じたあの忌まわしい東日本大震災の直後に発生した「東京電力・福島第1原発」の事件の直後になってあわてて「ヨウ素剤」を求めても全くもって遅かったということ、それと全く同じなのである。「そうなってしまってから」では全く遅いのであって、ある日突然、そしてある朝突然、「我が上にきらめく天空が微笑まなくなる」ということ、その瞬間に皆様お一人お一人が心の準備が出来ている様になって頂きたい、そう強く願っている。
人類の結局は生物である。生類は結局、淘汰される。だが同時に生き残る者もまたいるのである。「その時」に淘汰される側に入るのか、あるいは淘汰されず、生き残る側に入ることが出来るのか。あとは皆様お一人お一人の「適応性無意識」にかかっている。
合掌。
2017年12月3日 東京・丸の内にて
原田 武夫記す
【お知らせ】
*弊研究所がリリース致しました全く新しいヘルスケア・ブランド「丸の内メディカル・サポート」の公式サイトもこちらをクリックしてどうぞご覧ください。
*2018年1月20日(土)午後に東京にて「認知症対策」をテーマにした無料セミナーを開催致します。詳しくはこちらをクリックしてご覧ください。皆様の御来場を心よりお待ちしております。