「フクイチで島を買い戻す」という安倍晋三総理大臣の野望 (連載「パックス・ジャポニカへの道」)
「糸(=繊維交渉での妥協)で縄を買う(=沖縄返還を実現した)」―――1972年、沖縄に対する施政権を取り戻した佐藤栄作総理大臣(当時)はその様に揶揄された。今では当然の様に考えられている沖縄の我が国に対する帰属。しかしそれを名実共に揃ったものにするにあたっては経済的な利益、いや生々しい「利権」を巡る攻防があったのである。
私がここでまず注目しておきたいのは、そこで動いたのが他ならぬ「通産省(現在の経済産業省)」であったという点だ。今となっては余り指摘されない点だが、実はこのことこそ、現代を生きる私たち日本人が想起しなければならない史実だと私は考えている。なぜか。
私が産業人財育成の現場でかねがね言っていることが一つある。それは「リアルタイムで動き続ける様々な出来事に関する情報を捌き、そこから未来に向けた気付きを得たいのであれば、まずは過去に起きた出来事から歴史法則を導き出さなければならない」ということだ。無論、「現在・過去・未来」はそれぞれユニークだ。一つたりとも全く同じということはあり得ない。しかし近似値と言う意味で「歴史が繰り返すこと」もまた事実なのである。何が何を突き動かすことによって、結果何が起きたのかにつき、私たちはまず振り返り、集中的に頭の中へ入れるべきなのだ。そのことによって確実に未来が見えて来る。ただし、繰り返しになるが、リアルタイムで公開・非公開双方の情報(open source, classified information)を入れ続けてのことになるが。
以上を踏まえた上で「糸を縄で買った」のが、佐藤栄作総理大臣(当時)が祀り上げられるために使った戦略であったとするならば、その係累である安倍晋三総理大臣がそのことを学び、今、使える同種のスキームを探したならば一体何に思い当たるであろうか。無論、かつての通産省、すなわち現在の経済産業省の力を借りて、である。
もはや霞が関、そして永田町では常識となっていることであるが、現在の安倍晋三政権に対して圧倒的な影響力を持っているのは経済産業省である。それに比べれば私の古巣である外務省など、実に無残なものである。正に徒手空拳といったところであり、目だった成果もあげられず煩悶している姿が目に浮かんでくる。これに対してかろうじて「官僚としての自負」を堅持しているように見えるのが財務省だが、そもそも選挙受けしない「公的債務問題」を年中口にしていることで完全に疎まれている。更に頼みの綱であったはずの国際金融についてすらアジア・インフラ投資銀行(AIIB)を巡る顛末で取り返しのつかない失敗をしてしまった。9月には習近平・中国国家主席が訪米するが、その際、共和党勢の一部が言い出しているような「米国としてもAIIBにオブザーバーとして参加する」という合意がなされればもはや取り返しのつかないことになるのは目に見えている。それ以外の省庁はいずれももっと冴えない。だからこそ経済産業省、ということになってくるわけだ。
それでは「北方四島を取り戻すため、何か材料を出せ」と言われた時、経済産業省が「それでは」と満を持して出すことが出来る玉は果たしてあるのだろうか。「ある」と私は考えている。それは何か。―――「福島第一原子力発電所から日量400トン以上排出されるトリチウム汚染水の処理・分離の委託」だ。「まさか」と想うかもしれない。しかし”ファクト(事実)“は着実にその方向に向かっている。
最近もこの点についてロシア側が公開報道(というよりもプロパガンダ媒体といった方が適当だが)を通じて私たち日本人に対してリマインドしたばかりだ。背景となる事実関係も含め、簡単にまとめてみるとこうなる:
―東京電力福島第一原子力発電所(通称「フクイチ」「F1」)から日量400トン以上排出されるトリチウム汚染水。様々な核種の放射性物質を含むこの汚染水の処理は困難を極めて折、現状投入されている我が国の機器「ALPS」では少なくともトリチウムは分離出来ていない(実際にはそれ以外の核種についても一部残存している)
―したがって我が国は民主党政権時代に決断し、海外勢からも技術の提供を広く求めることにした。そして安倍晋三政権が成立前の段階から、「キュリオン(米)」「日立+GE(日米)」及び「アストロム(露)」の三社に絞り込んだ。無論、ここで先頭に立って作業を進めたのは経済産業省(資源エネルギー庁)である。そしてそれぞれについて約10億円近い資金が我が国の国家予算から支弁されることが既に決定されている。
―その後、まず「日立+GE」が技術的な困難性を理由に撤退した。他方で「キュリオン」は電気分解技術をもって臨んだが試験機が十二分に稼働せず、立ち往生した。前者の撤退で空いた予算枠を用いて昨年(2014年)12月から追加公募が行われ、”ヴェンチャー企業“2社が採択されたが、いずれもどうなるかは全く未知の状況に置かれている
―その結果、「頼みの綱」はロシア勢ということになってくるのである。ロシア勢の鼻息は荒く、2016年早々に試験機を設置し、成功すれば本格的な施設設置のための作業を急ピッチで行うことになる
「フクイチ・トリチウム分離事業」が莫大な“利権”であることは言うまでもない。今後、数千年、いや数万年にもわたってトリチウム汚染水はこのままだと排出され続けるからである。他方でこれをロシア勢による処理に託したとするならばどうであろうか。我が国はロシア勢に対してその間、莫大な金額の「謝礼」を支払い続けることになるのだ。無論、それはロシア勢の体制をほぼ未来永劫にわたって支え続けることになる。ロシア側にとってこれが「北方四島」とは比べものにならないほどの意味を持つことは言を俟たない。かくてプーチン露大統領は表向き、我が国による様々な対露投資案件等のパッケージに紛れ込ませつつも、実際にはこのプロジェクトを日本側が最終的に採択したこと(=米国勢を蹴落としたこと)に対する報奨として、年内にも実施するとされている訪日時に感謝の念を込めて、「北方四島の返還」を提示することになるというわけなのである。そして安倍晋三総理大臣について、後世を生きる人々は次の様に語ることであろう。―――「安倍晋三総理大臣は“フクイチで島を買った”」、と。
「トリチウム汚染水の分離」という、従来の”教科書“であれば不可能とされてきた事柄に深くコミットしているとある筋からの示唆を受け、私の頭には以上の近未来が思い浮かんだ次第である。だが、同時にいくつかの”不安“が胸をよぎったことも告白しておかなければならない。それは次のような”不安“である:
―我が国は戦後、簿外資産の半永続的な供与という形で米国勢との間で密約を結び、その上に立って「日米同盟」を堅持してきた。その結果、米国勢は経済的に困窮するとすぐさま我が国によるこの意味での莫大な資金供与に依存するようになっている。ところが(「トリチウム汚染水の分離」という役務提供はあるにせよ)上記の様な日露間協力が成立すると、莫大な資金がロシア勢へ我が国からほぼ永続的に流されることになるのである。これを米国勢が看過するとは到底考えられない
―そう考えると、オバマ米政権がこれまで執拗に「プーチン訪日」を阻止しようと躍起になって来た本当の理由も理解出来るのである。ところが安倍晋三総理大臣はこれを振りきり、今年(2015年)6月にはこれまで事実上無視してきたサンクトペテルブルク国際経済フォーラム(SPIEF)に経済産業審議官と国土交通審議官をそろい踏みさせてまで一大代表団を派遣。一気に「プーチン・シフト」に入ったことをアピールしたのである
―だが、本当のこのままで済むのであろうか。まずロシアが「フクイチ」を握るということはイコール、我が国にとってロシア勢はもはや「潜在的敵国」ではなくなることを意味している。なぜならば我が国にとって虎の子であるはずの「潜在的核保有国」としての能力の一端をそこで確実にロシア勢に握られることになるからだ。「他に頼る国がいない」という状況を東アジア勢で創り出すことで独占的な地位を軍事同盟の上で保ってきた米国勢にとって誠に都合が悪い状況がそこでは出現することになる。他方、中国勢も黙ってはいないはずだ。日露の原子力協力が突出していけば、ウェスティングハウス社からの技術の「コピー」をMOU締結によって実現し、原子力マーケットを席捲していこうと鼻息の荒い中国勢は完全に出鼻をくじかれることになるからである
―いずれにせよこの様な様々な思惑が交錯する中、諸外国勢は安倍晋三総理大臣の「総理大臣としての立場」に照準をあて、攻撃を仕掛けて来ることは間違いない。その際、同総理大臣として最後に頼るべきは、我が国の本当の「権力の中心」である。佐藤栄作総理大臣(当時)は昭和天皇に対する頻繁な内奏で知られていた。「沖縄返還」という領土の最終的な変更は国家元首にとって最大の関心事であったことは間違いない以上、当然の流れというべきだ。しかしその兄である岸信介は昭和天皇との関係が悪く、その御日程さえ平気で変えさせたことで知られている。その岸信介は安保闘争で国民の不興を買い、ついには政権を瓦解させた。これら安倍晋三総理大臣にまで至るファミリーにおける“先例”を見る限り、「ここから」の同総理大臣にとって最も重要なのは、我が国の本当の「権力の中心」との距離感ということになってくる
私が気になって仕方がないのは、実は我が国の本当の「権力の中心」に対して忠実極まりない武官として日米同盟の根幹中の根幹を支え、その名誉を傷つけるとなると情け容赦なく鉄槌を下す役割を担っている人士こそが、同時に18世紀から続く日露関係の根幹をも担っているということなのだ。つまり「本当の我が国」と「本当の米国勢」、そして「本当のロシア勢」は我が国の本当の「権力の中心」を通じてつながっているというわけなのだ。もしそこに安倍晋三総理大臣が割り込もうとしているのであれば、重大な事態が巻き起こることは間違いないのである。既にその気配は来る14日に発表される戦後70周年を契機とした「安倍談話」を巡るここに来ての“後退ぶり”からも充分見て取ることが出来るように思うのは私だけであろうか。
「フクイチ」の問題が我が国自身が起こした問題であるが故に、我が国は自らの開発した技術をもってこれを抜本的に処理・解決すべきだというのが私の変わらぬ信念である。そしてそのことのみが、我が国からほとばしり出る知恵と情熱が世界秩序を根底から変えていくという意味での“パックス・ジャポニカ(Pax Japonica)”の実現へとつながる唯一の道のりなのである。いたずらに人の身心が傷つき、ついには国家として取り返しのつかない状況へと追い込まれる前にこのことをあえて書いておきたい。なぜならば・・・すぐそこにいる隣人こそ、我が庭の青い芝を羨み続けている者はいないからだ。
2015年8月9日
東京・仙石山にて
原田 武夫記す