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見たし聞いたし言ったけど

 

先月末、なんとかエストニアでの最後の仕事であったプロジェクトのリリースを終えました。体力って本当に大事だなと毎度毎度修羅場の度に痛感します。今年度の目標は体力と筋力をつけることにしたいと思います。

 

日本への帰国を5月の頭に控え、細々とした残務整理や引き継ぎなどをこなしつつ、現在は母と一緒にヨーロッパの小旅行中です。バルト三国を通ってイタリアに向かってバスで南下するルートで、若干日程と移動の忙しい旅ですが、今のところ特に大きな事故や問題もなく旅を楽しんでいます。特に今はイースター期間ということで、各国ごとに前回のクリスマス期間とはまた違ったお祭り気分が味わえています。そのうち日本にもイースターが輸入されるのでしょうか。何が売れるのかな…兎のコスプレでしょうか…。

 

今回の旅行で一番身にしみて感じていることは、人間の視界の違いと狭さです。

 

私自身は、旅行の楽しみとは、この地にかつてこういう歴史・出来事があったのか、とよりリアルに感じられることだと思っています。すなわちどちらかというと過去に思いを馳せがちなのですが、今回は一応母を楽しませるための旅路ですので、美術館や博物館を回らないかわりに散歩とおしゃべりがメインです。

平たく言えば勝手にあちこちのカップルや家族連れにいらぬ下世話な邪推をして時間を贅沢に潰しているだけなわけですが、きっと実際は私たちの小さな妄想力を遥かに凌駕するようなそれぞれのドラマが、大時計のかかる駅のコンコースを、光差し込むカフェの一角を、細い石畳の路地裏を、それぞれ行き交っているのだなと思うと、それはそれで感慨深いものがあります。訪れた先の「今」を楽しむことも理解することも随分と難しく、また楽しいものだなぁと感じています。

 

そういうわけで観光名所を元気に回って写真を撮るより、そこらのカフェで美味しいコーヒーでも飲みながらぐだつきたい似た者同士の私と母なのですが、見ているものがあまりにも違うというか、お互いがお互いの見たいものしか見ていないというか、数年ぶりに24時間ほぼ一緒に行動しているはずなのに考えていることも感じていることもてんでバラバラなのには改めて驚かされます。

 

もちろん年齢や親と子という立場の違いも大きいでしょうし、どうしても建物やら風景やらに目が行きがちで行き交う人々も風景に一体化して認識している私と、人間観察が趣味どころか特技だと豪語する母では明確に見ている対象が違うので当然といえば当然です。でも全く同じ方向を向いて広場に座り込んで小一時間、最先端科学の粋を集めたGPS座標の誤差以下の距離にいながらここまで「一体何見とったん?!」となると、もはや笑い話を通り越して、我々は日々よくも他者と平穏無事に生活をともにしているなぁと感心してしまいます。

 

かと思えば二人してすぐ真隣にそびえ立つ観光名所を完全にスルーして(往々にして目的地の一つなのに)アイスクリームの屋台を眺めた挙句「何もない」「寒い」などと騒いでいるのです。人間、本当の本当に自分に都合のいいものしか見ていません。

 

そうして悪意なく見ないし聞こえないし感じない人間がよりより集まって、こうして脈々と豪華絢爛な建造物を造り、独自の食文化や生活様式や複雑怪奇な言語を発展させ、更にその全く見知らぬ風習を訪ね歩くために世界中を大量に移動しているわけです。姿形も言葉も様々な旅行客が行き交う様をこうも目の当たりにすると、どうして世界というものは上手く回っているものだと不思議に思えてきます。

 

これを可能にしているのは古今東西人類が積み上げてきた科学技術や文化哲学の賜物だと思いますし、また同時にコミュニケーションそのものだとも思います。

 

コミュニケーションというのはかくも偉大です。そして同時に、欠陥だらけで不便なものだとも思います。世界中どこにいても、限りなくリアルタイムで、表情を見ながら会話ができるようになり、写真や映像や音楽を共有することができ、長短を問わず文章を思うがままに送り合うことができ、あまつさえ翻訳をかけられるような昨今でさえ、数え切れないほどのコミュニケーション不全が起こっているのです。オフショアプロジェクトはなぜか炎上しますし、血を分けた母娘の些細なすれ違いや勘違いは枚挙に暇がありません。

 

相手の気持ちを慮ることや、最近だとSNSを中心に「共感」がもてはやされがちですが、私はその慮ったり共感した内容が一体いかほど正確なのか、その確認を疎かにするくらいならば、いっそ何も慮らないほうがマシだと思います。

 

だって私とあなたが見ているものは、ここまで違うのです。

 

どれだけITを駆使して地図やネットの情報を大量に仕入れても、どれほど鮮明に映像や匂いや空間をシェアできても、私たちは道に迷い、記憶を盛大に食い違わせているのです。共感そのものではなく、共感した物事の確認作業のために、コミュニケーション技術は日夜発展していると思います。だから依然として、技術を発展させる傍ら、我々は限りなく正しく伝える努力、限りなく正しく受け取る努力を、絶え間なく続けていかなくてはいけないのだと。それは海と陸を隔てたビジネスの場でもそうですし、今生、この瞬間にしか交わらないかもしれない旅行客同士での当たり障りのない会話でもそうですし、もう成人した母娘のなんでもない日常会話でもそうです。

 

この2年ほど、主にフィリピンのオフショア開発のブリッジSEとして微力ながら仕事をこなしていく中で、やはり一番痛感し気を使ったのが「私は私が伝えたいことをどのくらい伝えられているのか」「私は相手が伝えたいことをどのくらい受け止められているか」です。本当は集中して自分のコードにだけ向き合っていたいプログラマーと、できれば全部丸投げしてなんとか二転三転する仕様を汲み取ってもらいたい顧客や営業の間では、コミュニケーションは常に時間とリソースにおけるコストであり、リスクでもあります。

 

とにかく簡潔に、過不足無く、正しく伝えあうこと、そして的確に確認をすること。

これはコミュニケーションに参加する一人ひとりが、常に意識し努力しつづけなければならないことだと強く思います。

 

他にも今回の旅で学びつつあることはたくさんあります。ひとつ、やっぱり体力は大事であること。ふたつ、選りすぐりの良いモノだけを持って身軽に生きること。みっつ、興味感心の食わず嫌いはしないこと。よっつ、旅先では景色を眺めているだけでも数時間が平気で経ってしまうので、勉強はあまりはかどらないこと。いつつ、いくつになっても母親の目の前では靴下を脱ぎ散らかしてはいけないということ。

 

できるかぎり見聞を広め、新たな気持で日本に帰れるよう、残りの旅路もこなしていきたいと思います。

 

【プロフィール】

 

楼 まりあ

 

神戸・東京・マニラのオフショア開発を繋ぐブリッジSEとして、そして東欧での新拠点をリサーチするため現在エストニア現地企業で外部契約社員としてタリンで在宅勤務。大学時代、マニラオフィスのオープンスタッフとして1年間マニラに滞在。NYでインターン経験有。

東京大学経済学部卒。

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