新しい「女大学」を創り上げる。 (連載「パックス・ジャポニカへの道」) – IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 – haradatakeo.com
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新しい「女大学」を創り上げる。 (連載「パックス・ジャポニカへの道」)

 

最近、我が国においてはあらためて「女性の社会進出」を求める声が高まってきている。少子高齢化の著しい我が国において最後の砦は女性だというわけなのである。そうした時流の中、マスメディアでは連日のように“今、輝いているキャリア・ウーマンたち”が登場している。

実際、企業経営の最前線に立っていると「女性の方が優れている」と痛感せざるを得ない場面が多数あることも事実だ。採用の場面においては特段割り引いて考えない限り、「選考の結果、残るのは女性だけ」ということになりかねないのが日常茶飯事であったりする。そしてそうした傾向は日増しに強まってきている。

かつて華僑・華人ネットワークのハイレヴェルの一翼を担う女性の方からこんなことを聴いたことがある:

「男性は誘惑に弱いから絶対にダメ。少しでもうまく行くと欲望に流されてしまうから。その点、女性はしっかりしている。誘惑にも負けにくい。だから華僑・華人の世界では最終的に女性にリーダーシップを任せることがままある」

華僑・華人ネットワークのハイレヴェルが過去に存在した歴代の「王朝」から引き継いできた莫大な簿外資産が現に存在している。同女史曰く、その管理権を承継した男性が余りにも典型的な形で誘惑に負けてしまい、直ちに更迭されたのだという。

ついでに言うと華僑・華人ネットワーク、とりわけ「客家」の世界では男性と女性のツー・トップで経営リーダーシップのスクラムを組むことがままある。なぜそうするのかといえば、男性と女性、しかも後者が前者よりもやや若い世代より選ばれてペアを組むことにより、男性が一人で仕切る時よりも「見えないところを見、気付かないところを気付く」ようになるからなのだという。しかもえてして女性は男性より長生きなのである。必ずしも「事業承継は息子に」という伝統が無い客家の世界では、企業の存続のために節制ある女性の生命力が巧みに用いられているのだ(ちなみに誤解無きよう言っておくが、このようにしてペアになる男性と女性のリーダーたちの間に特殊な個人的関係は一切ない。この辺が何かと欲望に負けてしまい、かつそれを「良し」とする我が国の経営現場とは全く異なるのである)。

話を我が国に戻す。―――最前線で活躍しよう!と意気込んでいる我が国の女性たちには本当に申し訳ないのだが、安倍晋三政権が今、「女性の社会進出」にドライヴをかけているのには隠された訳がある。ここでは詳しく述べるのは控えたいと思うが、要するに太陽活動の激変を根本の理由としながら、気候変動が激化し、それが私たちの人体において免疫力を著しく低下させることにより、グローバル経済は着実に「デフレ縮小化」に向かっているのである。これはいかんともし難い現実だ。

そうした中でこれに何とかして抵抗しようとしている米欧勢の統治エリートたちは1990年代に入り、”窮極の兵器“をマーケットに投入し始めたのである。インターネットである。そして全てをデジタル化させることで高速処理を可能にし、儲からないのであればその次、さらにその次と、チャレンジすることが可能な経済システムへと世界全体を丸ごと入れ替え始めたのである。デジタル・エコノミーの時代の本格化である。

ところがこの「デジタル・エコノミー」が曲者なのである。ソーシャル・メディアやログ解析、そしてA/Bテストといったデジタル・エコノミーでは当然の作業は、余りにも細かく、また持続して行わなければならないものなのである。他方で私たちの人体には波があり、そうそう自律神経を自らで律することが出来ないものなのだ。その結果、延々と続く作業の山に私たちはいつしか埋もれてしまい、精神と肉体を病む中、ついには命を落とすところまでいってしまうのである。そう人生は、いや「生命」はデジタルではない。アナログそのものだからだ。

疲れてもう働けない、ということになれば当然のことながら日々の稼ぎは徐々に減っていく。依然として我が国では都市部に人口が集中する傾向が続いているが、しかし人間がたくさんいて、それだけマーケットが大きいように見える都市部であればあるほど、そこで働く男性たちの稼ぎは圧倒的に少ないのである。それもそのはず、都市はデジタル・エコノミーの巣窟だからである。一見すると格好よく働いているように見える若者たちが、大人の目から見ると全く資産を持たず、将来に向けた安定性の確保など考えも及んでいないことは余りにも明らかななのである。

しかし、人間、ある年齢になると恋愛もし、結婚もする。「母性」に目覚める女性たちはとりわけ適齢期ともなると結婚を志すようになる。ところが今やその「結婚」は下手をすると人生が暗転する大きなきっかけとなってしまうのである。なぜならば結婚相手である男性の稼ぎが急激に減っているからである。「イケメン」であろうと何であろうと、結局のところ男性は稼ぎがいくらあってナンボのもの、である。最初は「イケメン」を追い求めていた婚活中の女性たちもやがてその現実を知るようになり、「いやちょっと待って・・・」と立ち止まり始めるというわけなのだ。実に女性たちは賢い、とりわけ我が国においては。

もっとも先ほど説明した「デフレ縮小化」は、究極のところ太陽活動の激変に原因があるため、如何ともしがたいのである。そうである以上、婚活中の女子たちはやがてある段階で決意することになるのである。―――「私も仕事しなくては。仕事を続けなくては」と。

実に悲劇なのが、こうした我が国の女性たちの決断は一面において正しくとも、他方においては重大な落とし穴に落ちることも意味しているということなのだ。いわゆる「専業主婦」であれば要するに家事・育児に専念することが出来たわけであるが、そうではなくて「職業婦人」の道を選ぶ以上、もはやこれらの専念することは出来ないのである。そして夫=男性と共に今や、不可逆的にマーケットで進みつつあるデフレ縮小化の渦の中に巻き込まれ、妻=女性たちももがき続けることになるのだ。我が国政府が語る「バラ色の構図」はそこには全くないのであって、むしろ必死、必死、心配ごとの連続なのである。

さらに男性の皆さんにとって不幸なこと重大事が一つある。それはかつてならば「専業主婦」となることを迷わず選んでいた我が国の女性たちが引き続き仕事場で役割を果たし続けるといことは、それだけ彼女たちにとっての「生きる選択肢」が広がるということなのだ。そして怖いことにその中には「結婚をしない」あるいは「結婚をしてもそれに拘泥せず、別の道を選択する」という自由が膨らみ続けることも含まれているのである。ましてや自ら職業を引き続き持つようになる女性たちは「出産・育児」という選択肢にすら消極的になり始めるのが常なのだ。そして「子はかすがい」とは昔よく言ったものであり、逆に子供の数が圧倒的に少なくなり始めて久しい今、もはや「かすがい」すら存在しなくなった我が国の若き夫婦たちは容易に離婚し、女性たちは「ますます輝くこと」を夢見て、実のところ日に日に厳しさを増す経済社会へとその大切な身を投じるようになっているのである。

率直に言おう。「何かがおかしい」のではないだろうか。無論、私も女性の社会進出そのものに異論があるわけでは全くない。だが、そもそも我が国における女性の在り方はかつて全く異なっていたのであって、しかもその在り方にはそれなりに意義があったはずなのである。そうしたことについて今一度真摯に考え直すこと無くして、何かに追い立てられるようにして無自覚なまま、そうした「在り方」を投げ捨てることが本当に私たち日本勢にとって得策なのであろうか。

こう考える時、私は「女大学」を想い出すのである。江戸時代の中期以降に我が国で広く流布された女性のための教育書だ。その中に「女子の在り方」は概要こう記されている:

(一) 女子は成長して、嫁に入り、夫と親に仕えるのであるから幼少のころから過保護にしてはならない。

(二) 容姿よりも心根の善良なことが肝要で、従順で貞節そして情け深くしとやかなのがよい。

(三) 女子は日常生活全般なに亘り、男女の別をきちんとしなければならぬ、幼少といえども混浴などもってのほか。

(四) 七去の法。(淫乱・嫉妬・不妊・舅に従順でない・家族にうつる病・多弁・盗癖・のある嫁は離縁されるべき)

(五) 嫁いだら夫の両親を実の親以上に大切にせよ。

(六) 妻は夫を主君として仕えよ。

(七) 夫兄弟や親戚を敬愛せよ。

(八) 夫に対して嫉妬心を抱くな、感情的にならず冷静に話し合う事。

(九) 無駄話はするな。人の悪口、他人の悪評を伝えるな、気をつけないと家族、親類の不和を招く元になる。

(一〇)婦人は勤勉でなければならぬ。歌舞伎や、神社仏閣等人の多く集まる場所に行くのは四十歳未満の婦人は好ましくない。

(一一)神仏に頼って祈りすぎてもいけない。人事を尽くせ。

(一二)万事倹約を旨とせよ。

(一三)主婦がまだ若い場合は、みだりに若い男に近づいてはならない。たとえ夫の親戚や下男であっても。

(一四)衣服はあまり目立たず、分相応に、清潔を保つこと。

(一五)夫方の付き合いを重視せよ。自分の親への勤めを果たすときでも夫の許しを得ることが肝要である。

(一六)みだりに他人の家へ出入りするな、普段は使いをやるのがよい。

(一七)召使を置く場合でも、任せきりでなく、自分の労苦をいとわずやるのが、婦人のつとめである。

(一八)おしゃべりな下女は解雇し、しつけはきちんとし、褒美をやるときは、けちけちしないで与えよ。

(一九)主婦の心の持ち方をのべている。従順であれ・怒り恨むことなかれ・人の悪口をいうな・ねたむ・思慮浅くするな。

「とんでもない教えだ!」とこのブログの熱心な女性読者たちからお叱りの声が聞こえるのは目に見えている。そう、確かに現代を生きる私たちの目から見るとそうなのである。「女性の社会進出」など全くもって論外だったわけであり、己を捨て、ひたすら家のため、夫のために尽くすのが女性のあるべき道だというわけであるから、現代日本を生きる女性の皆さんが激怒するのは当然なのである。

だが、「合理的なものは存在し、存在するものは合理的である」のだ。現代的な視点から批判を下すのはたやすいが、本当にそれだけのものなのか、「女大学」は一顧だに値しないのかということについては、あらためて検討に値するというのが卑見なのである。なぜか。

19世紀半ばから「オンリー・イエスタデイ」までに至る150年ほど続いた気候温暖期においては経済がインフレ一辺倒だったのである。したがってやればやるほど儲かるというわけなのだから、労働者として、さらには消費者として女性たちの参画は大いにウェルカムだったというわけなのだ。平塚らいてふの「青鞜社」もそうした自然(じねん)から始まる経済・社会的なコンテキストがあってのことなのである。有名な「古来、女性は太陽であった」というマニフェストも、実はそうした時代背景の上にあって述べられたに過ぎないのである。

今や、時代は反転しつつある。上述のとおり、気候は北半球においていよいよ寒冷化し始めている。東京に住んでいると春になったというのに、まともに暖かい日がないまま、事実上「梅雨模様」になってしまっているのである。今年(2016年)の夏はラニーニャ現象によって強烈に暑いとの予報が出ているが、「ルシャトリエの原理」あるいは「復元力の原則」に従う限り、それはその次にやってくる秋・冬が”強烈に寒いこと“を示唆しているのである。その時、我が国経済、そしてグローバル経済においてはデフレ縮小化が支配的な現象となるのだ。

そうである時、果たして我が国の女性たちが慌て惑う男性たちと同様に我先にマーケットへと駆け込むべきなのであろうか。最終的に強烈なデフレへと収斂する以上、いかに男勝りな女性であっても、結局は“無間地獄”となるデジタル・エコノミーの中で煉獄を体験するだけなのではないか。そうである以上、金銭という意味での幸福とは全く異なるところで、しかも「乱高下」「急上昇」といったインフレ特有の現象の中での自己実現ではなく、「平穏」「中庸」を旨とするデフレの中でのあるべき姿を実現すべく、さらに言えばそこで「心の豊かさ(mindfulness)」をしっかりと守る役割を女性たちこそ果たすべきなのではないだろうか。そのような見地から、先ほどの驚くべきほど保守的と思える「女大学」をあらためて見る時、強烈なデフレが続いていた江戸時代中葉までの我が国における先人たちの「知恵」、「いわんとしていること」が徐々に分かって来るのではないだろうか。

無論、私はだからといってアンチ・フェミニストではない。ご安心頂きたい。むしろ女性たちの方が遥かに優れた働き手であるということは、外務省を自らの意思で辞し、企業経営の最前線に立ち続ける中でいやというほど身に染みて知っている。しかし、だからこそ「もっと新しい在り方があるのではないか、我が国の可憐な女性たちには」と思えて仕方がないのである。女性たちにはより自立的であり、かつ自律的であって欲しいと心から想っている。だが同時に、彼女たちには「上げ」「下げ」の中で互いに肩肘をつつき合いながら相手を蹴落とすことで力づくでの「幸せの獲得」ではない、「中庸を旨とする落ち着いた心」「平穏さ」を説くと言う意味での”躾(しつけ)“の伝承者として担うべく、すさまじく重要な役割があることも事実なのである。追い立てられるように男性たちと同じ職場に繰り出し、そこで身心ともに疲労困憊してしまっては躾も何もないのである。そうした意味での心の豊かさ(mindfulness)を取り戻すための導き役は、他の誰でもない、生まれながらの「母性」という暖かさを持ち合わせる女性たちにしか果たせないのだ。そう、私は強く想っている。

以上のような見地から、平成の時代を駆け抜ける愛すべき全てのまだ見ぬ女性たちと共に「新しい女大学」を創り上げる第一歩として、全く新しいセミナーを来る7月9日(東京)・10日(大阪)で開催することにしている。全ては出会いから始まり、そしてそれがもたらす気付きが私たちを前へ、そして未来へと心地よく押し出してくれる。何があっても無くなることがない「お金」のことから、その賢い運用、さらにはそもそも「お金」を動かしている大きな原理原則、そしてそうしたことを越えた「現代日本におけるあるべき女性像とそれをベースにしたあるべき我が国の在り方」について語り合う場に出来ればと思う。是非、お気軽に、しかし同時に凛とした意識をもった女性たちが一人でも多くこのセミナーの会場に足を運んで頂ければと所員一同と共に祈っている。

2016年6月5日 東京・仙石山にて

原田 武夫記す

【「輝く女性のためのやさしい資産運用無料セミナー」を開催致します】

この夏、IISIAは全く新しいセミナーを開始いたします。名付けて「輝く女性のためのやさしい資産運用無料セミナー」です。

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