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我が国は何を捨てなければならないのか。 (連載「パックス・ジャポニカへの道」)

 

株価、とりわけ我が国の株価がいよいよ反転し始めた。一時的な高下ではない。日本株の所有者は海外・個人から信託(年金)・自社(法人)へとこの間、大きく替わった。無論その背景には日本銀行によるマイナス金利の導入がある。マイナス金利は、必ずしも詳細を理解することがかなわない高齢者たちを中心に我が国では大きな動揺を引き起こす一方、漠然とした不安を払拭させようと国民全体が何か動き始めた感がある。だが方向性が見えない。全く見えないのである。

マイナス金利導入によってこれから生じることは要するにこういうことだ。―――中央銀行家たちがこぞって仕掛けているのは「実質金利のマイナス化」である。すなわち名目金利の利率とインフレ率の差である「実質金利」の利率について、マイナスにしようというのである。そのためにはまず引かれる方の名目金利の方を可能な限り引き上げた。これがマイナス金利導入の真意なのである。

次に行なわなければならないのがインフレ率のアップである。商品(コモディティー)価格がありとあらゆる局面で崩落してきたのはそのせいである。誰を見ても得をしないのに、さしあたりこのタイミングの直前まで商品(コモディティー)価格が続落してきたのは「復元力の原則(=ルシャトリエの原理)」を働かせるためなのである。つまり、「下げは上げのため」なのであって、これから強烈に「上げ」るためにこそ、まずは強烈に「下げ」たというわけなのである。ただそれだけのことだ。

後は商品(コモディティー)価格が強烈に上がり始めれば足りる。そしてふと足元を見ると、原油、金(ゴールド)、銅など非鉄金属、砂糖、さらには材木などに至るまで順繰りに商品(コモディティー)価格がここに来てゆっくりと胎動し始めていることに気付くのだ。そしてこれがこの春にかけてスパークして行く。そこで米欧勢が大声で語る論調はただ一つ。「実質金利のマイナス化」である。これ以上でも、これ以下でもない。

実質金利がマイナス化する以上、「カネは借りないと損」という事態が恒常化する。既に不動産信託(REIT)へのマネー注入がラッシュになっているが、他方で極低い金利かつ長期で社債を発行してもいくらでも売れるという状況になっている今、企業がこうして労無く集めたマネーを不動産へ、あるいは日本株へとつぎ込むことは目に見えている。つまり資産バブルがさらに過熱して行くことになる。

もっともかねてよりこのコラムで書いてきたとおり「バブルは起きるものではなく、起こすもの」なのだ。そしてそのカギを握るのは「普段であれば金融マーケットに関与することがあり得ない広範な社会階層を巻き込むこと」なのである。つまりターゲットは私たち一般庶民ということになってくる。そして今回これをどの様にやるのかといえば、答えはただ一つ、「FinTech(フィンテック)」なのだ。いわゆるロボテクではない。個人の決済情報の全てを第三者に提供することを承諾するのと引き換えに、ほぼ瞬時に大量の借金を可能にするような仕組みが奨励されるのである。金融庁がここに来て「FinTech」に躍起となり、それを可能にするための法令の策定を急いでいるのはそのせいだ。暴騰を続ける株や商品(コモディティー)のマーケットを見て、それまでは指をくわえて見ているだけであった私たち一般庶民はケータイ一つ、10分から20分程度で100万円単位のカネを借りられる状況になった瞬間に金融マーケットへと再び参入する。中には「10分でレヴァレッジを50倍近くかけた金先物取引で1億円の資産を創り上げた男」などというのも必ずやまた登場するだろう。また新しいバブル紳士・淑女の登場だ。

だが、今回は既にその「終わり」も見えているのだ。インフレ率の上昇が加速度を付け始め、しかもそれが止まらなくなる。なぜならば太陽黒点数が今年(2016年)後半に向けて「半減」し始める中、寒冷化の危機が今度は米欧勢によって叫ばれることになるからだ。ところが昨年(2015年)晩秋からの価格崩落で原油の産出量は大幅に制限されている。要するに「寒さをしのぐために石油で暖を取りたいが、肝心の石油の栓が閉まってしまっている」という状況に実は陥っていることにその時になって気づくのだ。原油価格はそれまでの「上昇」といったレヴェルを越えて今度は「暴騰」へと至る。それにつられる形で全ての商品(コモディティー)の価格が同じく暴騰し始める。

そうなると名目金利は上昇せざるを得なくなってくる。なぜならば(名目)金利をコントロールすることによってインフレをもコントロールすること。これこそが中央銀行が行っている金融政策の本質に他ならないからだ。当然、そうした政策金利の引き上げは長期金利の上昇を招いていく。

するとここで我が国を筆頭として多大な困難が生じるのだ。なぜならばこうなると公的債務に関して政府が支払っている金利までもが上昇するからである。利払いの負担がそれまでは限りなく低かった(長期金利の低迷)からこそ、それまでは何とかもってきたのである。だがそこからはそうはいかなくなる。止まらないインフレ率を前にして長期金利は急上昇し始め、利払いの負担でいよいよ政府は窮地に追い詰められることになる。―――政策としてであれ、あるいは事実上であれ、“デフォルト(国家債務不履行)”の発生だ。

無論、それまでの間、何も手をこまねいて皆が見ているというわけではない。イノヴェーションによって新しい「売り物」「売り方」を開拓しようとする努力はとりわけダヴォス会議(世界経済フォーラム)=B20をプラットフォームとして活発に行われていくことであろう。その立役者としては既存の大企業ではなく、より威勢の良い中小企業(SME)がハイライトされ、しばし「中小企業の時代」、更に言うならば「起業(アントレプレナーシップ)の時代」が到来するのは間違いないのである。そしてそこで取り沙汰されるのはこれまでは「存在しない」と唾棄されていた数々の画期的な技術群であり、それを担う創発型人財になるのは間違いない。

だが、結局、既得利権や既存のやり方がもたらす安寧にその他大多数が堕してしまい、イノヴェーションは進まないとすれば、もはや残された手段はただ一つなのである。戦争、しかも「大戦争」による需要の喚起である。中東において常に蠢いているのはそのせいであり、また北朝鮮がある意味異様なほど追い詰められているのもそのせいなのだ。そしてこれまで「世界の警察」であったはずの米軍は二正面作戦をもはや遂行することが出来ない。そのためこれら二つのリスクが同時に炸裂すると、地球上は完全なる無法地帯と化す。全世界が火の海となり、諸国民は融和や協調ではなく、我先に生き残りをかけた動きに出るはずなのだ。融和型のリーダーは打倒され、国民を守るためには何をしてもかまわないと公言するリーダーがのし上がって来る。海の向こうの「トランプ現象」はその予兆に他ならない。

我が国も相応の覚悟をしなければならない。事ここに及んでも未だに己の狭小な利益に拘る向きが後と立たず、あるいは欲望のまま暮らし、争いを引き起こさんとしている人間が多すぎて驚愕するのであるが、とにもかくにもまず必要なのは私たち日本人がこうした冷厳な近未来に関する情勢認識をシェアすることなのだ。このまま行くと私たちの大切な国・日本も修羅場と化す。今は「安保法制」などというシングル・イシューで結束しているに過ぎない若者たちが将来にわたる分け前を求め、一斉に立ち上がるからだ。

いや、そればかりではない。「維新」を巡る動き、あるいはLGBTといったムーヴメントの盛り上がりの背景には明らかに「事ここに及んだのであれば、俺たち・私たちにも出番を与えよ」というマイノリティーたちの悲痛な叫びがある。そして事実、それは国会の場で、あるいはメディアの場で、着実に実現されてきているかのように見えるのだ。だが、事態が“デフォルト(国家債務不履行)”という大混乱になればもはやそれどころではないのである。それまでは動かなかったサイレント・マジョリティが一斉に動き始め、これら少数者を圧殺することは目に見えている。今、「女性参画」「エンパワーメント」がしきりに叫ばれているが、これとても危ういのだ。「パイが少なくなったのであれば、力づくで奪うことができるものだけが生き残る」というのが結局のところ生物である私たちにもあてはまることだからである。正に”修羅場“である。私は早ければこうした事態が2018年から発生すると現段階では考えている。

では私たち日本人は何を今、すれば良いのか。―――端的にこの問いに答えるならば、「”その時“に何を捨てるのかを考えることだ」というのが私の答えだ。狭いながらも豊穣な島国の大地とその上で繰り広げられる生物たちの交響曲(シンフォニー)という意味での自然(じねん)。黙っていても協調することが貴しとされ、乏しくなったとはいえ未だに生き続けている私たち日本人の間における「協調性」。刻苦勉励を佳しとし、ドラマ「下町ロケット」を見てつい涙ぐんでしまう国民性。これらをベースとしながら、我が国の本当の”権力の中心“がその実、巧みに指導する中で作られた国内外の枠組みの中で蓄え続けてきた莫大な「国富」。そしてこれらをベースにしながら「たとえ小学生の女の子であっても、学校から自宅までたった一人で歩いて帰るときに何も生じない」というレヴェルの高い「安全性」。これらの全ての内、最低限”どれか一つ“を捨てない限り、私たちは前に進むことが出来ないのである。前に進むためには、しかもより大きな第一歩を遂げるためには、それだけ大きな何かを捨て去る必要がある。取り去る必要がある。産卵期のサケは、飲まず食わずで一心不乱になって遡上し、源流を目指すのだ。その時、サケには”志“しかなく、それは多くのものを捨て去っている。かけがえのない自らの「次世代」をこの世に残すために。

「断捨離」「片づけ術」などといったレヴェルではない。「生き残りのためにいったい何を私たち日本人は捨て去らなければならないのか」という点についてこそ、今、私たちは国民的な大議論を行わなければならないのである。そうした研ぎ澄まされた意識をもって前に進み始めたところで件の“その時”が訪れるのであれば、我が国、そして私たち日本人に必ずや未来があることであろう。そうではなくて、今のまま安逸に溺れ、我執を捨て去ることが出来なければ真っ先にこの国そのものが存在を消し去られることになる。なぜならば、我が国こそ、公的債務残高が世界で随一のレヴェルだからだ。「世界で真っ先に吹っ飛ぶのは日本」なのである。

最終ゲーム(end game)は始まった。実は去る1月末までの間に、それでも生き残り、場合によっては全人類のために挽歌を歌わなければならない役回りを果たすべき人士も、グローバル社会では静かに選ばれて来ているのだ。だが、まだ時間はある。残された時間を費やして、せめて我が国に暮らす愛すべき同胞たちに覚醒を促すべく、全国津々浦々まで駆け巡っていきたい。それが、私が今、胸中で強く想うことである。

2016年2月28日 伊豆・天城にて

原田 武夫記す

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