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地球を故郷にしたひと、イサム・ノグチ

ふらぬーるです。

前回のコラムで取り上げた丸亀猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)を後にして高松市牟礼町にある同美術館に向かった先は、イサム・ノグチ庭園美術館。

彼の彫刻をひとつしか見たことがなかった私がなぜここに行きたかったのか。それは彼の作品自体への興味からというより、彼の生い立ちや彼自身について知りたかったからでした。

 

イサム・ノグチという名前を初めて目にしたのは小学生のころだったでしょうか。たまたま手に取った家具のカタログに、イサム・ノグチコレクションを復刻したテーブル、椅子、そして照明器具のAkariシリーズが紹介されていました。その後、お店でも何度か彼のデザインした家具を見かけたので、私にとってイサムは彫刻家よりいわゆるインダストリアルデザイナーのイメージが強くありました。作者の想定した空間から離れて、カタログや家具屋に配された家具たちはあくまで商品でした。

 

実際に彼の彫刻に対面したのは、ニューヨークのHSBC銀行前にそびえるRed Cubeです。オフィスの目の前にこの「倒れそうで倒れない」赤い立方体(正確には立方体ではない)は、大きな存在感を放っていてニューヨークのアートな雰囲気にぴったりなのですが、当時は彼の作品だということを知らずに観ていました。

20170607_上田様①

 

こんなふうに希薄だった私とイサムの関係ですが、アート雑誌や美術館に行けば幾度となく目にする彼の名前。前々回取り上げた、メキシコのフリーダ・カーロとは禁断の逢瀬を重ね、ある日現場を押さえた銃を片手に持ったリベラに追いかけられています。また、前回取り上げたMIMOCAの中庭には製作途中のイサムの石が、またカフェではイサムがデザインしたインテリアが使われています。MIMOCAを設計した谷口吉生氏は土門拳記念館でイサムとコラボレーションしています。MIMOCAの庭や広場のコラボレーションも話に挙がっていたそうですが、その年イサムは他界し実現できなかったのです。

 

日本人の父、アメリカ人の母を持つイサム・ノグチ。New Yorkで栄光を手にした彼が、晩年なぜ香川で自邸を持ったのでしょうか。そして、外貌はアメリカ人である彼が、なぜ日本名イサム・ノグチと名乗ることにこだわったのでしょうか。

 

イサムの父、野口米次郎は慶応大学文学部英文科の主任教授を務め、ノーベル賞受賞も期待された英詩人でした。ヨネ・ノグチとしてアメリカの詩壇で成功を収めた米次郎が、詩作をするにあたって英語の添削教師として雇われたのがイサムの母となるレオニー・ギルモアでした。

1904年11月、イサムはロサンジェルスに生まれました。しかし父はこの顔も見ることなく帰国してしまします。イサムが2歳のとき母とともに来日しますが、米次郎は別の日本人女性と結婚してしまい、母一人でイサムは育てられます。13歳のときアメリカ市民権を取得したイサムはひとりで日本を発ちます。高校卒業後、彫刻家に惹かれつつもコロンビア大学医学部に入学したイサムを芸術家に変えたのはあの野口英世でした。イサムは英世に「医者と芸術家は、どちらが偉大ですか?」と質問したとき、英世は即座にこう答えたそうです。「医者にできることは限られている。父親のように芸術家になりなさい」。そして、イサムは芸術家の道へ進むことを決心したのです。

医学部中退後、レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校に入学したイサムはすぐにその作品群がニューヨークの芸術界で取り上げられます。放浪癖のあるイサムが世界中をめぐる旅の最後に訪れたのが13年ぶりとなる日本でした。この時の約7か月間の日本滞在が、その後の空間の彫刻家としての核になります。京都の古寺の庭園に足繁く通ったイサムは、日本庭園に空間芸術の新しい可能性を感じ取ったのです。そして、イサムの庭園への思いはまず日本で実現しています。慶応大学教職員休憩室〈新万来舎〉を建築家谷口吉郎(谷口吉生氏の父)と手掛けたのもこの頃です。イサムは内装の設計に当たり、床部分を「石」「木」「畳」の三つのレベルに分けることにより、西洋的と東洋的、そして日本的な要素を融合させました。(新万来舎は残念ながら2005年に老朽化のため解体されています。)来日に際して、父・米次郎に野口姓を名乗って日本に来るなと言われたイサム。後に和解しますが、最後まで一筋縄ではいかない父子の関係にイサムは複雑な心境でいたに違いありません。父の職場の空間を創る仕事は彼にとっても大きな意味を持っていたことでしょう。

20170607_上田様②

 

さて、50~60年代にイサムの公共空間を芸術化する仕事が次々と実現していきますが、69年に自邸・アトリエとして構えたのが今の牟礼町にある庭園美術館です。アトリエの前には既に完成した石、製作途中の石が混在して配置されています。「石はどうでも良い。我々は彫刻家だからそんなものは簡単なんです。いちばん難しいのはこの全体の空間を理解して、その中にどれを、どこにものを置くか」と語ったイサム。晩年は、NY、イタリア、日本を行き来して留守にすることも多かったイサムは、家を離れるときはいつも、そのままの状態で残されてもいいようにベストの配置にしてから発ちました。その心地よい空間にいると、まるで現在も仕事を続けているイサムの姿が見えるかのような不思議な感覚になります。

20160607_上田様③

 

イサム家と呼ばれる自邸は1800年代前半の武家屋敷を移築し、洋風の生活に慣れたイサムが日本の伝統的建築を生かしつつ、畳に段差をつけるなど改築したものです。イサム家にはあのAkariを発見しました。

あぁ、素敵。

私の中で、カタログの中の平面的なAkari、そして明るい店内で存在感を失っていたAkariが、明かりと闇の曖昧な空間をつくりだす妖艶なAkariに生まれ変わった瞬間でした。

20170607_上田様4

 

庭園美術館にはイサムから〈未来への贈り物〉があります。自然と一体となったその庭で佇み、小さな小石を触りながら、周りを取り囲む五剣山のゴツゴツした岩肌を認めたとき、私は、東洋と西洋を越境した空間の彫刻家イサムの故郷は地球だったのだなぁと思いました。

未来への贈り物

今月、79才の誕生日を迎えることになり、日に日に思いを強くしています。
四国の寄寓の地に庭園を作ることでそのお祝いをします。
それは、未来への贈り物であり、又、私の母の庇護して下さった方々や、
私に幼年時代の歳月を与えてくださった方々への贈り物でもあります。
価値あるものはすべて、最後には贈り物として残るというのはまったく本当です。
芸術にとって他にどんな価値があるのでしょうか。

 

1983年11月7日 イサム・ノグチ

(イサムノグチ庭園美術館開館10周年写真集より)

 

 

【執筆者プロフィール】
flaneur (ふらぬーる)
略歴 奈良県出身、1991年生まれ。都内医学部に在籍中。こころを巡るあれこれを考えながら、医療の『うち』と『そと』をそぞろ歩く日々。好きなことば : Living well is the best revenge.

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