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カザフスタンが「第2のシリア」になる日 (連載「パックス・ジャポニカへの道」)

 

23日から24日まで間、カザフスタン第2の都市・アルマトイで開催されたユーラシア・ビジネス・フォラーム私は基調演説者として招かれ、出席してきた。昨年(2014年)に続き2度目の出席である。

我が国とカザフスタンとの間には直行便が未だない。そのため、トルコ・イスタンブール経由でまずは西に行き、それから東へ戻るというかなり強引な手段で辿りついたわけだが、アルマトイのフォーラム会場まで来て、私は正直目を見張ってしまった。

昨年(2014年)、ロシアとの「ユーラシア連合(Eurasian Union)」の成立を契機としてこのフォーラムをカザフスタン勢が立ち上げた時、これに参加する日本企業は皆無だった。私にとっては我が国からの唯一の参加者ということで、かえって丁寧に扱われたのでとても意味があったわけであるが、今回は全く違っていたのである。会場の向かって右前方にはトヨタの輸出車が陳列されている。そして前方中央のスポンサー・リストにはパナソニックの名前が堂々と掲げられていた。

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一方、アラブ首長国連邦(UAE)などアラブ勢が大勢参加していたことも大変気になった。これもまた昨年(2014年)には無かった現象である。だが、これらのことを発見するや否や、私の脳裏に稲妻の様なものが走ったのだ。

「『情報リテラシーに疎いアラブ人と日本人がやって来たらそのマーケットは終わり』というマーケットの格言がある。今回のフォーラムには突如として、正にアラブ勢と日本勢が登場した。ということは、カザフスタンはエマージング・マーケットとして絶頂を極めつつあるように見えて、その実、程なくして崩落の時を迎えるというわけなのではないだろうか」

事実、このフォーラムに出席していて事実、大変気になったことがもう一つある。モノ作りのセクターというよりも、金融関係者、とりわけ私の言う“越境する投資主体”たちが大勢出席していたということだ。そして彼らはグローバル・マクロ(国際的な資金循環)について楽観論を次々に口にしつつ、ついには次のようにすらのたまわったのである。

「世界の諸国には3つのビジネス・モデルがある。第1が国内で経済的な困難が生じると、輸出攻勢をかけ、それで問題を解消しようとするやり方だ。この困ったやり方で有名なのが日本である。第2はスイス型モデルとでもいうべきものであり、中小企業をじっくりと国内で育て、内需を基本として経済を廻していくやり方である。そして第3がこれから正に伸びていくカザフスタン型モデルだ。『地の利』を最大限活かし、周辺諸国との関係に意を用いながら、中継貿易で繁栄していくというやり方である」

出席していたカザフスタン人たちは大いにその自尊心をくすぐられたようだった。「そんなわけがない。世界経済は今、もっと深刻な状況に置かれており、そこでこれから生じることにカザフスタンも巻き込まれるのが当然なのではないか」などという“正論”が彼らの口から吐かれることはついぞなかったのである。

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今回のフォーラムが昨年(2014年)と大きく異なるものとなった大きな理由がある。それはここ数年、中国が主導する形でプロジェクトが明らかにされ、それにカザフスタン、そしてロシア等が乗る形で盛り上がってきた鉄路による輸送路の拡充計画、別名「第2のシルク・ロード計画」がより実体のあるものとして描かれるようになったということである。そしてそうなった最大の原因が、例のアジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立というビッグ・イヴェントだ。出席していた在アルマトイ中国総領事は「このプロジェクトはAIIBの投資対象になる」と明言していたのが印象的であった。世界中の債券、とりわけこれまで安定的な資産として富裕層らが保有して来た国債が金利の恒常的な低下に悩まされる中、ひとたびAIIBが社債を発行すれば、これら世界中の富裕層が飛びつくのは目に見えている。その社債価格が高騰し続ける中、そうやって国際社会全体から集められたマネーは「第2のシルク・ロード」へと続々と注ぎ込まれていくのである。一見すると完璧な構図のように見えなくもない。

 

だが、果たして本当にそうした「バラ色の未来」がこのカザフスタンという国を待ち受けているのであろうか。―――そうしたが疑問がかえって私の脳裏に浮かび上がったことを吐露しておきたい。そしてこの疑問が徐々に「確信」へと至り始めたのは、現地の有力テレビ局「アルマトイ・テレビ」の人気経済番組に50分間にわたり、ゲスト出演を求められた時だった。

我が国からのフォーラム出席者ということで、そこでの話は日・カザフスタン関係の将来に集中した。だが、その話の行き着く先はというと、2017年に首都アスタナで行う万博へ是非、我が国からも出席してもらいたいという点に他ならなかったのだ。「2017年アスタナ万博」のテーマは代替エネルギー(alternative energy)である。この分野に長けている我が国から、その段階で第2のシルク・ロードの“雄”として頭角を現すであろうカザフスタンにおける初めての万博ということもあって、たくさんの企業が出席するのは目に見えているのだ。事実、番組の中で質問を受け、私はその旨答えたが、実は打ち合わせの段階ではこうはっきりと同局側の関係者には伝えてあったのだ。

「これから世界経済は益々混乱に陥っていく。その中で、そもそも天然ガスと石油の産出で成り立ってきたカザフスタンがそうした主要な“売り物”をむしろ害することになる代替エネルギーに走って一体どうしたいというのか。明らかに矛盾した行動ではないのか」

テレビ、そしてメディアは結局“演劇”に過ぎない。そこで正論を吐いても致し方が無い上に、旧ソ連諸国の一つであるカザフスタンのメディアにおける現場で漂う、ある種独特の雰囲気の中でこれはかえって「正論」を吐くのは危ないと私が感じたことは事実だ。何せ、万一“反体制派”ととらえられてしまっては出国すら危うくなりかねないからである。だからこそ私は農業問題にかけて、日・カザフスタン相互でもっと包括的にやりとりをする協議の枠組みを外交上創るべきだというラインで話をまとめておいた。そうした協議の場があれば、特段問題があっても我が国からはカザフスタン側に申し入れを行う余地があることになるからだ。

フォーラムの現場で私は基調講演を行った。その最終版スクリプトは別途アップロードしておいたので是非ご覧頂きたいわけであるが(英語テキスト)、端的に言うならば「カザフスタンの友人たちよ、是非目を覚まして欲しい。B20のメンバーとして世界を飛び回る中で痛感するのはグローバル社会がもはや“戦争経済”でしか今の経済的困難を打開できないというところにまで追い詰められているということだ。当然、そうしたグローバル社会にカザフスタンも含まれている。決して楽観視することなく、金融資本主義の終焉と、産業資本主義並びに民族資本主義のあらためての興隆という中でグローバル社会全体を考慮した歩みを進めてもらいたい。そのためのイヴェントとして開催すべきなのが2017年の万博なのだ」と公言した次第だ。

会場での反応は、正直、キョトンとした表情を見せる者たちが大勢いる一方で、会場を回ると随所でカザフスタン人である出席者たちから名刺交換を求められたことも事実であった。何せ金融資本主義の激動に徐々に巻き込まれ始めたばかりの国の経済エリートたちなのである。「日本経済はアベノミクスで完全に復調したと聞く。他方で韓国経済はますます発展していくのであって、問題は無いのではないか」などと素朴に信じてしまっているレヴェルが彼・彼女らの実態なのである。そこにB20のメンバーとして現実を見てきている者の一人として「現実主義」を私が唱えたことで、例によって脳裏に稲妻が走った聴衆はそれなりの数いたようである。そのことだけでも、遠路はるばる、このシルク・ロードのど真ん中まで我が国から出向いて良かったと感じた次第だ。なぜならば、カザフスタンの友人たちにも「真実」を知る権利はあるはずだからである。

わずか2日間ばかりの強行軍であったが、その合間において昨年(2014年)の会合で(^^)/をあわせて以来、大変懇意にしてもらっている旧東欧圏からの現地経済事務所駐箚の外交官と会食する機会を設けた。その際、今から25年程前に、それまで盤石と見られていた共産独裁体制が一夜にして崩れたという経験を経ている彼がこんな風に呟いたことが、今でも忘れられない。ちなみに同氏は中東においても長年にわたり、勤務した経験がある。

「アルマトイ、そしてカザフスタンに駐箚していて大変気になるのは、米国勢、そして欧州勢が余りにも静かすぎるという点だ。その大企業が目立って活動するということが見受けられない一方で、ナザルバエフ大統領の下で民主主義が事実上、制限されているという政治的な現実をあたかもなかったかのように振舞っているのが気になって仕方がない。自分(註:同外交官氏)の眼から見ると、現在のカザフスタンにおける政治的自由は、『アラブの春』以前のシリアにおけるアサド政権下でのそれと同じレヴェルだ。それなのになぜ米欧勢は全くこれを指摘しようとしないのか。それに『第2のシルク・ロード』プロジェクトにしても、余りにも虫の良い話に思えてならない。確かにカザフスタンはナザルバエフ体制の下、全方位にわたる隣人外交を展開し、例えばロシアとウクライナの双方とうまくやってきている。だがそのことは逆に言うと、隣人たちは全員“敵”であるということも意味している。そもそもかねてから語られている『第2のシルク・ロード』なるプロジェクトが本当に完成するのか、それとも”永遠の夢のプロジェクト“として終わってしまうのか未だに定かでない上に、安全保障という観点で『カザフスタン型モデル』はロシアがクリミア半島をウクライナ勢から奪った段階で終わったというべきだ。カザフスタンも長きにわたり国境をロシアと接しており、ウクライナとどこが違うのかというと、究極においてその差を語ることが出来ないからだ。それにそもそもカザフスタンには地下資源以外、何もない。かつてのシルク・ロードにおいて忽然として現れるオアシスであるかのようなアルマトイ以下、いくつかの主要都市を除けば、何も無い国なのだ。それなのになぜここまで楽観論が語られるのか、全く理解出来ない」

同外交官氏が教えてくれたのだが、ナザルバエフ大統領はここに来て国民に対し、「最悪の事態はこれから到来する。国民たちよ、それに向けて備えて欲しい」との大号令を何度となくかけ始めている。エマージング・マーケット特有の成金たちがブランド品をもって闊歩し始めたばかりのこの愛すべきカザフスタンの友人たちは、こうした言葉を聞いて、キョトンとしているのが目に浮かぶ。だが彼・彼女らの「大酋長」ナザルバエフ大統領は分かっているはずなのだ、なぜ自分自身がこの激動のグローバル・マクロの中で生かされているのか。そして何よりも「自分自身が何らかの理由で命を失った後」にこの国が一体どうなってしまうのか、をである。

私からはこの外交官氏に対し、1989年以降の「東欧革命」が実際のところ、ヴァチカン勢と欧州系国際金融資本のマネーによるものであること、そしてその全体プランを考えたのがブレジンスキー元米大統領補佐官であり、かつその若き愛弟子であったコンドリーサ・ライス(後の米国務長官)であったことなどを、直接の関係者であり証言者の名を挙げながら仔細に説明しておいた。すると同氏は得心したという表情でこう言ってくれたのである。

「ご説明に心から感謝したい。これまで25年にわたって、自分(註:同外交官氏)はなぜ、我が国においてあそこまで盤石であった独裁体制が一夜にして、しかも独裁者本人が銃殺までされてしまったのか、理解に苦しみ続けてきた。だが、ようやく氷解した。要するに“そういうこと”だったというわけか。そうであればあるほど気になるのがこのカザフスタンという国の将来だ。なぜならばあの時、あの頃の我が国に漂っていた雰囲気と、少なくとも政治的に見る限り、全く同じものを感じてしまってならないからだ」

アジアインフラ投資銀行を全面的にバック・アップし、世界中から富裕層マネーを集めては、一見すると完璧だが、実のところ綻び始めると全壊する。そんな聞こえの良い巨大プロジェクトに投資をさせて、それが肥え太った段階で容赦なく屠る。たくさんの人々が絶叫し、悲嘆にくれる中、グローバル・マクロ、そして世界史が音を立てて次のフェーズへと移行していく。

中央アジアの”雄“・カザフスタン。それが「第2のシリア」になるのか否か。遠く離れた極東の地にあって、注目し続けなければならない。

2015年4月26日 大阪にて

原田 武夫記す

 

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