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『お金の儲け方には3つのやり方がある。』

おはようございます。原田武夫です。

今朝のお目覚めはいかがですか?いよいよ新しい1週間の始まりです。

すっきりと目覚めたその「感覚」を忘れずに前に進んでまいりましょう。

 

さて。

最近、弊研究所の「お問合せ先」に対して、執拗にこんなメッセージを四国から送って下さる方がいました。

「あなた方は我が国の現状を憂い、世界の未来をより佳きものにしたいと謳っている。そうであるならばなぜ、提供する情報分析を全て無料にしないのか。人々に“ラット・レース”から抜け出しますようにというのであれば、自らがそうした態度に徹するべきではないか。それでいて高額の料金を徴収するというのであれば、結局、自ら“ラット・レース”にはまっていることの証拠ではないか。全くもって羊頭狗肉だ」

 

率直に申し上げましょう。

「お金の儲け方」はこの世に全部で3つあります。そのことを踏まえられれば、この方もこうした問いかけは自ずからご自身の胸の中で消化できるのではないかと考える次第です。

 

3つの「お金の儲け方」。

それは第一に、自分より劣っている者たちから「騙して」利益を得ることです。圧倒的な勢いで行うので、誰もそれが「虚偽」であることに気づきません。むしろ逆に「誰しもが買っているから、これこそが本物」と皆が信じています。

第二のやり方は、今、対峙している他の人物が求めているものを徹底して考え抜き、「これはいかがですか」と勧め、その結果、感謝の気持ちのお印“を頂くという方法です。ビジネス・スクールではこれを学びます。

しかし、本当はもう一つあるのです。

 

第一のやり方がいわゆる「ラット・レース」です。ネズミがかごの中でクルクルと廻る輪の中で走り続けているようなイメージです。お客様に対して「価値」のフリをして、その実、「虚偽」を売るわけですから、まず精神的に悩まないわけがないのです。必ず良心のどこかに呵責を感じ続けている。

それでも「いや、これこそが商売(あきない)の道」と信じ込ませるために、自他ともに声高に己の正しさを主張し続けます。いわゆる「ビジネスの神様」などといってソーシャル・メディアで自己主張を続けている方がこれに該当します。しかし・・・本当に「正しい」のであれば、何も自己主張しなくても全てが引き寄せられて来るはずなのです。既にこの段階で馬脚を現しています。

そして何よりもこのやり方は、最後の最後、己より「もっと早く」ラット・レースの中で走ることが出来る若者が現れた瞬間に破滅が訪れるという意味で、最悪なやり方です。全てが失われることになります。あれ程までに「カリスマ経営者」として騒がれつつも、結果的に“その後”に何も残さなかった人物がどれほどいることでしょうか。

 

第二のやり方も基本的には実のところ同じ、です。「相手の気持ちが分かればそれで良いのだろう」と割り切ったやり方を突き詰める結果、世界は今、米欧を中心にデジタル化(digitalization)を徹底して進めて行っています。その結果、UberAirbnbの様に、「元来ならばこの世で出会うことのなかった需要者と供給者をつなげる」というビジネス・モデルを可能にしています。そしてこれこそが「21世紀のビジネス・モデル」とばかりに大勢の者たちが“このやり方”で勝負をかけ始めています。

しかしこのやり方が結果としてラット・レースへの道のりであることにお気づきでしょうか?「なるほど、世の中に有り余っているこの財・サーヴィスについて、インターネットを用いることで需要者と供給者をつなぐことでビジネスになるのだ」と誰かが気づけば、その瞬間に他の者も気づいています。後は時間との勝負なのであって、とにかく早く立ち上げ、プラットフォームを創り出そうと懸命に走ります。そして体よくIPO(新規株式公開)か、あるいは大企業に転売(M&A)することにより、さしあたりそれなりの富を得るわけです。そして「では次を目指そう」とまた同じことをやります。

この意味での「成功者」をシリアル・アントレプレナーと言います。しかし、考えてもみて下さい、結局のところこの手の皆さんも、見えないものの、第一のやり方同様、大きな意味でいう「ラット・レース」にはまっているだけなのです。よしんば、シリアル・アントレプレナーであることを辞めて、「社会貢献だ」などと何かをし始めても、どうしても心の中にわだかまりが残っています。「社会貢献」をビジネスに出来ないかと考え始める。結果として、下手をすると全てを失うことになります。晩節を汚すことになるわけです。

 

これでない、全く新しいやり方は無いのか?―――そう気づき始めることが大切です。

なぜならば第三のやり方が実はこの世に存在するからです。

いつもそうであるわけではありませんが、人類の歴史において、時折、決定的な「節目」が訪れます。それまでの地球環境とは全く違うフレームワークの中で人類全体が生き始めなければならない瞬間です。

そうした時に第一のやり方や第二のやり方では「種」としての人類の保全が非常に危ういのです。率直に言えば、それらは余りにも局所的であり、かつ偏在するやり方なのです。結果として、助かる者とそうではない者がいるように見えつつも、最終的には共倒れになります。ラット・レースの「走り続けるための輪」自体がその姿も、大きさも、そして形も変えてしまうからです。

「これで人類もいよいよ終わりなのか」

そう思わざるを得ない瞬間に、実は遠くで静かに見守っている者から「ポン」と手渡されるものがあるのです。それはある志をもって、ひたすら、そう、愚直に前に進んできた者たちに対してだけ与えられる機会です。一朝一夕でそう成る訳では決してないのです。様々なテストがあります。「まさか、これが?」と思われるような機会における立ち居振る舞い、そして発言の一つ一つがチェックされています。そして「この者ならば、次の世に向けて無心に作業を行うであろう」とその者たちの心が納得した瞬間に、そうした作業を行うための手段が事実上「無償」で、しかも他の全てを圧倒する規模で与えられることになるのです。

そしてこの莫大なマネーの力が世界史を変えていくことになります。しかし悲しいかな、多くの場合、私たちは先ほどの第一、あるいは第二のやり方で暫定的に成し遂げられる仮初の富の集積と、ここでいうシステム転換の担い手が体験することになる莫大なマネー・フローとの違いの区別をすることが出来ません。その結果、経営者の伝記にしても正に玉石混交なのであって、正直読みに値しないものがほとんどです。

いや、もと正確に言うならば、この第三のやり方での「正しい道のり」は常人では行うことが出来ない。しかも直観だけを頼りに前に進んだ結果、しかるべきその者たちから「そう、そのやり方が正しいのだ」とだけ認められる手合いのものなのです。したがって誰もそれをあらかじめ学ぶことは出来ません。一つだけ言うならば「正しいことを静かに行う」、ということでしょうか。

 

恐らく最初にご紹介したような方はここまでこの文章を読んで、こう語ることでしょう。

「第三のやり方も、結局は、その誰か巨大な存在の言いなりになっているだけなのではないか。その意味でラット・レースから抜け出ていないはずなのであって、完全なる矛盾をきたしている」

はっきり申し上げましょう。全くもってそれは誤解です。

「巨大な存在」そのものは、私たち自身が頭の中で“想念”として考えているものにすぎません。結局のところ「我そう思う」から「彼はそうである」のです。この部分の修養がなければ第三のやり方は決して動かすことが出来ないのです。そしてそこは「我そう思う」が全てなのですから、ラット・レースも、そして「走り回る時に使う輪」もないのです。あるのはただ一つ、無限に広がる思念の空間の中を「時間の整理」と「空間の整理」をもって仕切りをつくり、全く新たな創造を行う自分だけ、なのです。それ以上でもそれ以下でもない。

 

2012年から進んでいるのはこの意味での「第三のやり方」に選ばれし者たちを巡るプロセスなのです。そしてその者たちはいよいよ今年(2017年)から姿を現し始め、2020年までの間にこの者たちこそ、世界史を変える本当の主体であることが明らかになります。しかしそうであっても、彼らは決して世間様にその姿を「それ」としてさらすことはないでしょう。なぜならば「正しいことを静かに行う」のが至高であり、同時に絶対的にプリンシプルなのですから。

端的に申し上げるならば、私たちの研究所が「研究」しているのはこの第三のやり方についてです。当然、誰しもがその内奥を知るべきではない。人類は皆平等といいますが、それは全くもって幻想にすぎない。己には己だけが授かった「命(めい)」があるのであって、これを自覚した瞬間にどう判断するのか、方向性を定めるという意味での「宿命から運命への転機」があるはずなのです。そこでの決意の表れは、それが正しいもの(=陽)であれば必ず(不思議なものなのですが)“陰”としての金銭を伴うものなのです。私たちの研究所がご提示している、この「第3の道のり」についてお知りになりたい、そこへと至ることこそが己の道であると心底確信されるならば、自ずからそのための流れ(liquidity)は出来るはずであり、何をもがくこともなく、またかこつこともなく、私たちのところにその「流れ」を用いて辿り着くはず、なのです。あえて申し上げるならば・・・ただそれだけのこと、です。

 

以上、お分かり頂けましたでしょうか?

最後に。

全ての者に・・・心からの祝福を。

 佳き一週間をお過ごしくださいませ。

 

2017年2月13日 東京・丸の内にて

原田 武夫記す

 

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