ウィキリークス、宋慶齢、そしてB20 (連載「パックス・ジャポニカへの道」) - IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 - haradatakeo.com
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ウィキリークス、宋慶齢、そしてB20 (連載「パックス・ジャポニカへの道」)

今、このコラムは休暇先の中国・北京で書いている。もっとも北京での滞在はわずか2泊であり、そこから更に南へと移っていく。その合間にしばし想うことを綴りたいと思う。

出発直前であった7月31日(日本時間)、情報公開サイト「ウィキリークス(Wikileaks)」が衝撃的なリーク情報を公開し始めた。米国家安全保障局(NSA)が我が国の公官庁や主要企業、さらにはそれに属する個人まで電話盗聴していたことを示す、極秘の報告電文を公開したのである。それを受けて、我が国の側においても静かに、しかし着実な形で反響が出始めている。

私が現在の独立系シンクタンクを営むという現在の“この道”に入ったのにはいくつかの理由があるが、その中でも最も大きなものの一つが「インテリジェンス(intelligence)」であった。外務省において私の最後の職責は「外務省北東アジア課北朝鮮班長」であったが、その際、インテリジェンスという観点では実に様々な経験を積んだ経緯がある。

そう聴くとやれ中国だ、ロシアだと騒ぎ立てる御仁が我が国では不思議と多いわけであるが、私の興味の対象として第一の存在はそれらでは無かったし、また今でもそうではない。我が国にインテリジェンスの刃を向けている第一の存在、それは紛れもなく「米国勢」なのである。私の興味関心はその一点に絞り込まれており、弊研究所を開設して以降も一貫してこの「問題」をフォローしてきたつもりである。

最近、我が国の外務省を久々に訪れ、その内部における異様な光景に驚いたことは、我が公式英文ブログで記したとおりである。かつて我が国外務省のオフィスといえば、入り口での手荷物検査はなく、部課室の扉は開けっ放し、訪問先以外でもふらっと別のところに挨拶に行く、などということが許される非常に「開放的」な役所であった。ところが現在の外務省は全く違う。厳重な手荷物検査の上、担当部局からの同行者が常につきまとわなければ中で移動することが出来ない。部課室の扉は完全に締め切られており、開けたとしてもまず見えて来るのは巨大な書棚である。中は全く見えず、ましてや大臣・事務次官がいるフロアーは外部からの無断侵入が完全にシャットアウトされている。ある種異様な光景であったことを今でもよく思い出す。

なぜこの様になったのかというと、理由は簡単だ。米国勢から指摘され、是正を余儀なくされたのである。「軍事上のインテリジェンス情報を協定に基づいて交換したいというのであれば、きっちりとした対応をしてもらわなければ困る」ときつくお灸を据えられたのである。従順な我が国、とりわけ「日米同盟の死守」を戦後の生業とする外務省は当然これに真っ先に従い、現在の様になったというわけである。

だが、今回の「ウィキリークス」によるリーク情報公開でこうした努力は完全に水泡に帰した。なぜならば、何のことはない、「インテリジェンスの先生」であるはずの米国勢こそ、SIGINTの世界の一つである電話盗聴を遠慮なく我が国に対して行っていたことが白日の下にさらされたからである。

もっとも外務省の現場レヴェルでこうした米国勢による「対日諜報」の実態が全く意識されていなかったわけではない。無論、表向きは皆、米国勢に対しては恭順の意思を示している。だが中には大変気骨のある最高幹部らもいるのであって、たとえば私が「北朝鮮班長」として現役であった当時、平壌に出張する際の報告は秘匿電話でどの様にすれば良いかと上司と共に相談した際、当時の外務省最高幹部の一人はこうはっきりと指示したことは記憶に新しい:

「電話報告は秘匿電話であれ何であれ、現地からは一切、不要だ。東京ベースで米国勢に筒抜けになってしまうからだ。帰国後に口頭でしてくれれば良い」

だが、余りにも厄介なのは、こうした“実態”を熟知していながらも、これに対して我が国当局としての体制固めを行うのではなく、むしろ「個人の利益」のために利用しようとするのが外務省幹部らの一般的な習癖だという点にある。つまりむしろ進んで自ら米国勢の広大なインテリジェンス・ネットワークに入り込み、そこで情報提供を喜んで行うことにより、自己の昇進を確保するのである。これが外務省における出世の常道であった。少なくとも「今日これまで」は。

第2次安倍晋三政権になってから「国家安全保障局(NSC)」などというものが立ち上げられ、例によって外務省の一部人士が前面に出されつつ、他方で防衛省や警察庁などのインテリジェンス部隊がそこに配されることになった。霞が関近辺のみならず、丸の内・大手町近辺でその“活躍ぶり”が最近、大変耳に入るようになっている。何でも「金融インテリジェンス」に手を出そうとしているのだという。この数年、財政危機に陥り、救済が焦眉の課題になってきた外務省の某外郭団体に事務局を務めさせる中、財界・産業界のトップたちを呼んでミーティングを行っていると聞く。その”志“は良いのだが、インテリジェンス、とりわけ「金融インテリジェンス」の世界は率直にいって”レヴェル“が違うので「お止めなさい」とかつての同僚たちにはこの場を借りてお伝えしておきたい。金融インテリジェンスは”レヴェル“の高い人士が、究極においてはその「霊格」によって国境を越えてつながり、だからこそ物事が起きる遥か前より、何が起きるのかが伝わり合う世界だからだ。やれSIGINTだ、HUMINTだなどとインテリジェンスごっこを「何かが起きてから始める」のとは訳が違うからである。サラリーマン官僚やサラリーマン「財界トップ」たちが手を出しては、ひどい火傷をするのは目に見えている。なぜなら彼らはそのようなもの、として「霊格」を高める訓練を一切受けて来てはいないからだ。

「霊格」の話をし始めると常に思い起こすのが、今、私がこのコラムを書いている中国・北京で最後は亡くなった宋慶齢・国家副主席である。「宋家の三姉妹」の次女であり、率直に言うならば中でももっとも器量が良い宋慶齢は、同時に大変な情熱家であり、恋愛のために全てを投げ捨てるほどの勇気を持ち合わせる人物であった。

しかし、である。だからといって亡き「孫中山」の妻というタイトルで、これから何が起きるか分からない新生・共産中国に身を投じるなど、普通ならば全く考えられないのだ。「資本主義陣営」に残っていれば、戦後、何不自由のない悠悠自適な生活を続けていられたはずなのである。ところが彼女はそうはせず、自らの命が潰えるまで「国母」としての地位を全うしたのだ。

「何が、宋慶齢をしてそこまでの意思貫徹へと誘ったのか」

率直にいうと、先ほどの「霊格」の議論を抜きにしてこのことは全く理解出来ないというのが私の考えなのである。宋家の三姉妹の父は、全くの裸一貫から資産家へと成り上がった人物だ。しかしその後、様々な経緯がある中で三姉妹は、恐らくは父・母すら全く気付かれぬまま、「霊格」を高めていき、遂には世界史を廻す偉業の一翼を三人で分担して行うことを託されるに至ったというわけなのである。そしてその際、三人が抱くに至った決意はこんなものだったのではないかと、周辺から漏れ伝わる情報をかき集めながら想うのである:

「中”夏“としての威厳と権利を失ってはならない。しかしそれと同時に、世界平和のため、応分の貢献をすることも忘れてはならない」

米欧勢という名のユダヤ勢によって浸食され、亡きものとされかかっていた「中”夏“」なる存在(念のために申しておくが、「中華」ではない)を激動の時代において守るため、三人はそれぞれ香港・北京・台湾へと渡ったのだ。あれほどまでに仲が良かった三人にとっては悲しみなどと軽々しく表現するには余りある惜別の念が湧き上がっていたに違いない。だが、とりわけ宋慶齢はその後、残りの二人の姉妹とは二度と会うこともなく、その務めを全うしたのである。「側用人」としてその傍らを守り続けた周恩来・首相と共に・・・。

霊格高き者たちには月並みな「インテリジェンス」などは無用だ。なぜならば、彼は想ったことがそのまま現実なるための術を身につけるに至ったからこそ、そうした役割を与えられるに至ったわけであり、「既に起きたこと」を云々することはその役割ではないからだ。ましてやそうした者たちだけに許されるネットワークの中で静かに、しかし着実に殖える資産を与えられてもいる。そうであるが故に、ヴォラティリティを”演出“しては金融マーケットで巨額の資産獲得を狙うといったレヴェルが必要とするような「インテリジェンス」、ましてや「仕掛ける」という意味でのインテリジェンスは不要なのである。むしろ海の底において静かに在りつつも、それでいながら世界の全てに対してその後のその歩みを決定づけるような、そんな存在としての役割を果たしていくのだ。

私は今年(2015年)春から政府間会合であるG20を支える(という名目になっている)「B20」のメンバーとなり、そこでの議論・活動に参画してきている。だが、正直言うならばトルコが議長国を務める今年をもって、ユダヤ勢の米欧系国際金融資本があてがったという意味でのアジェンダはほぼ全てこなし終わることになるのではないかというのが現場における私の印象だ。それなのに、中国勢は来年(2106年)におけるG20、さらにはB20の議長国として立候補し、我が国に競り勝った。我が国の政府関係者たちは、私が順番にインタヴューしてきた限り、「中国勢が議長国となること」に対する懸念はうっすらと持ちつつも、「所詮G20であろう」と公言している。事実、これまでのとおり、「ユダヤ勢の米欧系国際金融資本が課してくる宿題をこなす場」であるのだとすれば、G20=B20は無意味なものになってしまうであろう。私もそう想う。

しかし、である。共産中国の根幹には宋慶齢の伝統があり、かつその背後には「中”夏“」的なるものが控えているとするならば全く話は変わって来るのである。私が普段、華僑・華人ネットワークのハイレヴェルと言う御仁たちである。私が知る限り、中南海の人脈であっても、まずはお伺いをたてるような対象がこれら御仁たちなのだ。中南海に暮らす中国共産党の幹部やその一族たちは、言ってみればこうしたハードコアの人脈たちからすれば「使用人」に過ぎないということになってくる。それとの”小競り合い“をもって日中関係の本質であると考えることほど的外れなことはないのだ。

B20はG20に対する政策提言(policy recommendation)を行い、かつそれを推進するよう動き回り(advocacy)、そして一度採択された政策提言が政府によって実施されているか否かを監督する役割を既に担い始めている。高い「霊格」をもって寄り集い、世界を指導していく者たちが静かに、しかし実行力をもって議論を行い、決定を下すには格好の場所なのである。共産中国ということを超えて、「中“夏”」を担う華僑・華人ネットワークのハイレヴェルもそのことに気付いているはずだ。そうである以上、自らが議長国となる来年(2016年)、表向きはともかく、そうした意味で世界中から人士を集めていく場へと中国はB20を再編成する方向へと動き始めるのではないかと思う次第である。

かつて拙著「アメリカ秘密公電漏洩事件 ウィキリークスという対日最終戦争」(講談社)の中でも述べたとおり、ユダヤ勢=アシュケナージ勢の陰がちらつく情報公開サイト「ウィキリークス」はやがてこの様なB20を巡る「中“夏”」の側の動きを察知し、ある時からリークを始めることであろう。そこでも開かれることになる華僑・華人ネットワークとユダヤ・ネットワークの“角逐”の中で、いかなるふるまいを私たち日本人は見せるべきなのか―――。

中海南そのものではなく、それと通じつつもその北で湖水へと臨む形で居を構えた宋慶齢。その故居を訪問する今日だからこそ、以上したためる次第である。“己の真の役割”を強く想いながら。

2015年8月2日 中国・北京にて

原田 武夫記す

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