謹賀新年 コペルニクス及び諸先生 - IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 - haradatakeo.com
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謹賀新年 コペルニクス及び諸先生

 

皆さま、明けましておめでとうございます。

 

年末年始を挟んで約2週間ほど、大学時代の友人2人と連れ立ちエストニア、ラトビア、ロシア、ウクライナを旅行してきました。バルト国ではクリスマスが終わったばかり、また正教のクリスマスは1月7日ですので、道中それぞれの都市で巨大なクリスマスツリーとイルミネーション、またそこから伸びるクリスマスマーケットを楽しみ、レストランやカフェではクリスマスソングに耳を傾けることになりました。人生で一番長くクリスマスムードに浸った年かもしれません。

 

モスクワの友人宅では日本人の集いとして年越しそばを食べもしましたが、新年はロシア方式で極寒の路上でシャンパンを明け赤の広場の花火を遠目に見ながら迎えました。

長距離夜行列車で合計30時間以上を移動し、ヨーロッパの大寒波を受けマイナス20度近くの山でスキーをするなど、普段の私ではとても思いつかない素晴らしい経験がたくさんできました。

 

実はウクライナはエストニアの前に私の出張先として候補に上がっており、当時はロシアとの関係が極度に不安定だったこともあり結局は案だけで見送ったのですが、東欧地域のIT系のラボ地としては時々名前を聞くことのある国です。今回現地の人に話を聞いてみると、首都のキエフだけではなくもっと西側の幾つかの都市でも、例えばドイツやイギリスの企業などがプログラマーを雇い仕事をしていることがあるそうです。それというのもわざわざキエフまで行かずとも、国際空港のある都市ならばドイツから飛行機や列車でもほんの数時間の距離。数人規模なら十分人が集められるそう。あくまで専門外の方から聞いただけですので実態はともかく、このヨーロッパの国や都市同士の距離感、言われてみれば当たり前のことなのですが、まだ諸国の地図がぼんやりとしかない私の頭には、ペカっと新たな光があたったかのような感覚を覚えたのでした。

 

そう言えば詳細は忘れてしまいましたが、古代における九州地方の人間にとっては、韓国も本州も同じく海を隔てた島、すなわち海外、という話を見た時、これもまた同様になるほどな!と目からウロコだったのを思い出しました。直近では夏にもバスでフランスからドイツに向かい、改めて大陸続きとシェンジェン協定すごい!(ロシアのビザはめんどくさかったです)なんて感動していたにも関わらず、やはり島国日本で生まれ育った私の「世界地図」感覚は、未だ国が大海原の中でプカプカ浮いているような浮島状態のようです。地球は丸いだとか回っているだとか言われた時の人々の気持ちが少しわかるような気がします。コペルニクスはただ転回しただけではいけないのです。

 

そんな我々も今回はウクライナでハンガリーやスロバキアとの国境付近の街にも足を伸ばしています。国境付近というだけあって歴史的にハンガリーの影響が大きく、ガイドをしてくれた現地の女の子もハンガリー系でカレッジもハンガリー語のものに通っているそうです。そこでは大学はウクライナ国内ではなくハンガリーに行くのが普通だと。ただし小学校から高等学校まではウクライナ語だったため彼女にとってはウクライナ語が一番得意かつウクライナ人という意識も強いのですが、親族の中にはやはりホームはハンガリーと考えている人も多い。両親はソ連時代の人だから今でもロシア語で喋っているので、ロシア語も大体できるそう。ちなみに同地域にはスロバキア語の学校もあって、そこに友達がいたからスロバキア語もできる。英語は学校で学んだだけで試験が大変だとか。

 

…日本人には全く理解し得ない環境と境地です。お互いの言語がある程度似ているとは言え、友達できたら他言語が習得できるってどういう感覚なんでしょうか。今回はロシア語を解さない私のために会話はすべて英語にしてもらったのですが、弱冠17歳、私たちとほぼ遜色ない英語力でした。日本人は大体日本語と英語を話すの?と聞かれたときは、3人のNOが綺麗に揃いました。彼女には多分、我々が感じる言語を一つ習得しようと思い立った時の、あのありとあらゆる苦労を思いゲンナリ尻込みしてしまう気持ちや、習いたての言語を口に出す時の戸惑いや恥じらいの気持ちは理解できないのでしょう。

 

今回、一応バルト地域の担当として、ある程度のちゃんとした知識を持たねば…と今更ですが旅行前に下記の新書を読みました。上記のようにまだまだ凝り固まった一国浮島式世界地図の世界線で物事を考えている私は、バルト三国のようにごく最近「国」として独立し認識された国(地域)の歴史を読み進めるのに思ったより苦労しました。そもそも私が想像していた以上に、別にもともと「バルトの三国」というわけではなかったので、あちこちから色々な国や民族が出しゃばってくる挙句にやっと独立したかと思えばソ連という私が現代史でも苦手だった項目に突入してしまい、読み終わるまで全く心安らかな時代がなかったのです。私は歴史は結構得意というか好きな類ですが、まだまだそういう意味で慣れていないということでしょう。

(いっそ、現代から遡って記述するタイプの歴史本があってもいいんじゃないかと思いましたが、かなり難しいでしょうか。今エストニアになっているこの地域は、何十年前まではこうで、更にその前はこんなことがあって、それというのも、以前にこういうことがあって、といった具合に)

 

確かに地球は丸く、大陸はひとつづきで、国境なんてものはなくて、それでも地域や言語や宗教なんかを通じて人々はまとまったり入り乱れたり迫害したり混ざり合ったりを繰り返し、国民国家が生まれて、ソ連やEUなんかが出てきて、時代はまた地球規模で繋がるのが「いい」らしいです。(最近ちょっと揺らいできている感じはありますが)

 

気の置けない友人たちとの旅の中、学んだこと感じたこと、感銘をうけたことショックだったこと多々ありますが、一番心にじわじわと染みてきているのは、実は私は未だに、国境が架空の存在であることも、大陸が繋がっているから大陸であることも、地球が丸いことすら理解できていないんじゃないかという事実です。

 

旅の一番最後に、友人の紹介でウクライナ人の女性指揮者の方とお茶をすることになりました。彼女との一時間ほどの会話が今回一番私の中でImpressiveだったのですが、それはさておき、彼女に、私はもっと頑張れば人生のReal touristになれる、と情緒豊かにお墨付きを頂くことができました。別に私は旅人を目指しているわけではなく、温かいお家とインターネットが大好きな完全インドア派人間なのですが、そういえば幼稚園の頃の夢がスナフキンだったなと思い、あえて冬だけ谷を出ていくような生活ももしかしたら悪くないんじゃないかと頷いておきました。とりあえず現在はコーヒー過激派の看板を下ろし、モスクワのスーパーで買った蜂蜜を紅茶に入れながら、春の旅行先を検討しているところです。地球は丸く、回っているのだそうです。

 

志摩園子(2004)『物語 バルト三国の歴史 エストニア・ラトヴィア・リトアニア』中公新書

 

 

 

【プロフィール】

 

楼 まりあ

 

神戸・東京・マニラのオフショア開発を繋ぐブリッジSEとして、そして東欧での新拠点をリサーチするため現在エストニア現地企業で外部契約社員としてタリンで在宅勤務。大学時代、マニラオフィスのオープンスタッフとして1年間マニラに滞在。NYでインターン経験有。

東京大学経済学部卒。

 

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